自己否定が高じて被害者意識が強くなった話


 被害者は被害者意識が強くなる場合がある。


その被害を自覚した途端、被害者意識が増える

地獄の下り坂突入! みたいになる。


 モラハラを受けている最中は、どうしたって

「お前が悪い」「お前のせいだ」「お前が俺をそうさせる」

と言われるもんだから自己否定感が強まっていく。


その結果、ほんとうに悪いのは尋常じゃないほど

人を否定し貶すモラの方なのに、

自分が悪いんだという思考回路ができあがる。


 そうすると悲惨なのはモラと離れる段階に

なった被害者の感情や思考である。


もう自分が悪いと思う思考回路が

できあがってしまってるが故に、

相手が悪かった部分をきちんと理解してもなお、

全面的に自分が悪かったかのような気持ちになる。


 そして自分が悪かっただとかを言い、

否定してほしいと願うようになる。

悪くないよと言われたくて仕方がないので、

解決策など求めていないのだ。


 回復途中には自分が悪くないと思いたくて

慰めてもらうことを目的としたコミュニケーションを

とるような時期が人によってはある。


 これは自尊心の回復や心の傷の手当てには

欠かせないプロセスなのだが、

理解ある第三者以外には全くわけのわからないことに見えよう。


 とくに未来志向で、これからどうしていくか?

を話したい人種にとってはうっとおしいもの、

としてカウントされても仕方がない。


 DVやモラハラに精通している弁護士が

自分が悪いという被害者に困るというのはあるあるらしい。

即刻助けようにも助けられないもどかしさがある。


 さらにこれは、モラハラをよくわかっていない人には、

加害者がひどいことをしたのはわかるが

これだけ自分を悪いと言うのだから

被害者も相当ダメな人間だったんじゃないか?

と思われる原因となってしまう。


これでは被害者は救われない。


 被害者の中には加害者を必死でかばったり

いいところもあったんだと言う人が少なからずいる。


植え付けられた自己否定の念と

地獄のような日々を単なる被害だったのだと

認めたくない思い、他には共依存など

が関係して抜け出ることが困難な

アリ地獄と化しているのだ。


 さてモラからめでたく離れることができても、

被害者の精神がそのアリ地獄から

救い出されたわけではないというのがポイントだ。


 第三者の助けを借りて、環境的には

助かったかのように見えた被害者が、

おかしな言動に出ることがある。


モラをかばう、モラを擁護していいところを言う、

自分にも悪いところがあったと必死に言う、

被害をダラダラと意味もなく人に言う。


せっかく助かったのに何だ?

助かりたくなかったのか?

実はこいつが加害者だったのか?

モラの言うとおりこいつはおかしいのか?

こんなやつといたら確かにモラハラしたくなるかもしれない

頭がおかしいんじゃないか


なんて思われた被害者はさらなる苦痛に襲われる。


 理解されない苦しみと植え付けられた否定の念、

極限まで削り取られてしまった自尊心などが影響して

ここらへんで被害者の加害者化が

現実となりそうな気配がしてくる。


 このような被害者の加害者にたいする言動は

知識がない人にはあまりにも理解されがたい。


そして理解されないことが重なると

被害者は心のよりどころをなくし孤独になっていく。


モラハラから脱出しても自己否定は続き、

モラをかばう気持ちすら続いてしまい、

どうにもならなくて理解を求めるも

第三者におかしいと思われて孤独を深める。


 誰ならわかってくれるのだ?

と、理解者を求めてさまよってしまうタイプの被害者は

出来事を色々な人に話し、理解を得ようと躍起になる。

同情してほしい、わかってほしい、という塊。


これは自尊心が大きく削られてしまったがためなのだが、

その心の傷はモラハラの根底にあるものと同じだ。


それに気づいた被害者は自己嫌悪を増す。


 理解を求めてさまようタイプでなければ、

早晩自分が新たな加害者として

自己防衛が行き過ぎた人間となってしまうだろう。


 その他にも被害者がどんな行方を辿るかは

本人の生育の歴史や性格で変わってくるが、

そんなに多種多様なレパートリーがあるようには思えない。


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