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飢餓に苦しむ世界の子どもたちのために祈っていた僕はどこに行ったのだろう

「世界中の貧しい子どもたちが幸せになりますように」

中学生の時の僕は本気でこのことを祈っていた。
その時はRADWIMPSがとても好きで(今も好きだけど...)良く聞いていた。ある日学校終わりの帰り道。バスの中でこの曲に出会って僕は1人で衝撃受けていた。

祈跡-in album version-/RADWIMPS

Today six billions of people are breathing, feeling, and living

Today fifty hundreds of children are starving,

fearing, and dying

Would you tell me why?

what could I do with this

Tell me why how could I remember this

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この時色んな感情が巻き起こっていた。中学生は多感な時期であり、僕自身も自己が確立していない中で様々なことが起こったのでとても辛かった時期だった。部活も文化が合わなくてすぐ辞めてしまったし、仲良い友達もできなくて毎日生きている実感がなかった。自由なアメリカの文化が恋しくて、みんな同じバスに乗って、みんな同じ制服を着て、みんな同じ教室で授業を受けて、ノリと雰囲気という名の暗黙ルールに縛られて生きる毎日が本当に苦しかった。特に部活を辞めてからは僕の居場所がなくて毎日1人で家に帰っては好きな音楽を聞いている。そんな日々を過ごしていた。

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そんな僕が"祈跡"という曲に出会い、衝撃を受けた。「自分が生きている意味なんてあるんだろうか。」と思っていた僕が生きたくても生きられない人たちがいるという事実を知った初めての体験だった。(この事実は後の歌詞にも出てくる)それを考えたら居ても立っても居られなくて僕は世界中の貧しい子どもたちが幸せになりますようにと1人で祈っていた。神様を信じていたわけでもなかったけど、なんとなく神様はいると思っていて人知れず祈っていた。それからというものの、ふと思い出す度に世界のどこかにいる貧しい子どもたちのための祈りをするようになっていた。


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noteを書こうと思ったらなぜかこのことを思い出した。社会人になって、大人になっていく過程でいつの間にか自分のために生きる人生になっていて、誰かのために祈ることも忘れていた。「世界中の子どもたちのために祈っていた自分はどこに行ったのだろう」と不思議に思ったりもする。

でも実はこの事実を悲観的には捉えているわけではなくて。世界のどこかにいる誰かのために祈ることを忘れてしまった一方で自分を大切にすることは少しずつだけどできるようになったと思っている。焦らずゆっくりとまずは自分を幸せにする人生を生きていきたいな。その上で誰かを幸せにしたいという気持ちが自然と上がってきたら、そういう人生を生きたいと思う。今はまだ双葉ぐらいの心だけど、これからゆっくり育てていきたいな。

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