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私がカウンセラーを目指すまで

初めまして。こんにちは。
3ヶ月先まで予約が取れないカウンセラー根本裕幸氏のお弟子5期生の安寧優と申します。

私が心のことを勉強するきっかけになったのは離婚がきっかけでした。
初めはパートナーシップのことに関連する本を読んだり、自分らしく生きる方法とか、性愛で悩んでいたのでそういった情報を本やインターネットで探していたと思います。

離婚で悩んでいたころの私は人生で一番の暗黒期だったと思います。
おそらくうつ状態でした。

理想の結婚生活を送るはずだったのに、挫折。
人生で一番の挫折だったと思います。
思い返せば、親のために結婚をしたのかもしれません。
よく心の世界では親のために結婚し自分のために離婚する。なんて言われていますが私もその1人でした。

2008年に仕事の転勤で25年住んだ広島から仙台へ。
仙台で出会った人と結婚しました。2人の子供に恵まれましたが上が小学1年生、下が年少さんになる手前で離婚しました。結婚生活は7年ほど。
結婚後、私が1人目を妊娠した頃義理の父親が認知症で要介護に。
義理両親は熟年離婚しており、義理の母は義理の父を恨んでいた様子でしたので知らんぷり。
ですので認知症で介護が必要になった義理の父のことを夫が1人で抱えてており、このことで夫は義理の母と当時あまりうまくいっていませんでした。
そんな中私も1人、知らぬ土地で妊娠&出産と子育てが始まり、夫は義理の父のことであまり私たちに時間を作ることができなかったのだと思います。

友達もいない仙台。
家族もいない仙台。
誰も頼る人も、助けてくれる人もいない、結婚生活は始めから孤独しかなかったように思います。

下の子供が産まれて、仕事復帰する頃には離婚のことを考え始め、ずっと離婚するか、このまま我慢するか、悩み続けていました。

結局私が離婚を決意するきっかけになった出来事は自分自身の浮気でした。
離婚する当時好きな人ができて、その人と仲良くしていました。
友達以上恋人未満という関係で、不貞行為はなく不倫とも言えないのですが、その人との時間が唯一、当時の私の心が安らぐ場所だったと思います。
ある日その人に会いに行っていた日、夫にそれがバレてひどく責められたのが離婚しようと決意した日でした。

当時の私はワンオペ育児で家事も子育ても私が全部してきた自負がありました。
私とコミュニケーションもなく、家事や育児に積極的でもないくせに、他の男と遊んだことを責められて、私は所有物ではないと思ったのと同時に、この人私の気持ちは何も分かっていないんだなというのが当時の私が感じたことでした。(今思えばどっちもどっちですが)

2年くらい離婚しようか悩んでいたのに、その出来事で肚に決めた。
それをきっかけに離婚の話を切り出して別居、1年後に離婚、今に至ります。

その後その男とどうなったか?
これが不思議なことに、離婚しましょうって話が進んだら会わなくても良くなったのですよね。
これが師匠が言うリハビリ男というやつかもしれません。

でも彼と出会ったことで離婚する決心がついたし、今幸せなので、リハビリ男さんには感謝です。
不思議なことですが、人は出会うべき時に、出会いがあり、助けてあげたりり、助けるために誰かの人生の中で演じる時があるのかもしれません。

そして離婚から3か月後。
思いもよらないところから、彼氏ができました。
実はその彼との関係のなかで結婚してた頃の追体験をすることになり、
あれ?これって私に問題がないか?と思うようになったのです。

離婚する時にたくさん心の本を読み漁ってパートナーシップのこととか男性心理とか女性らしいとか学んでみたのになぜまた同じことを繰り返すのだろう?
そんな時に出会ったのが師匠の罪悪感の本でした。
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自分の離婚の問題が実は、パートナーではなくて親子に問題があったこと。
そこに気づいてからカウンセリングに通い、何年もずっとモヤモヤしていたことがだんだんと輪郭が見え、傷が見え、癒されて今があります。

初めて心理学に触れたのが7年前。離婚して5年。
実は私自身がカウンセリングを怖がって受けようとしなかった。
ようやくカウンセリングに通うきっかけになったのは師匠のブログでした。
もしもっとカウンセリングが身近だったら、もっと気軽にカウンセリングをうける勇気があれば、私が癒されるのはもっと早かったかもしれません。

心理学やカウンセリングのことを多くの人が知っておけば、仕事や家庭や愛する人と、幸せに生きられる人が増えるはずだと確信しカウンセラーを目指すようになりました。


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