見出し画像

私は私でしかないから。

午前中、エアコンの効いた実家のリビングで
愛犬の寝息を聞きながら
自分の過去のことを振り返っていた。

私にはずっと憧れの女性がいた。
中学生の時に知り合った同級生だけれど
向こうは覚えていないくらいの薄い知り合いで。
でも彼女の良い意味で自信のある雰囲気とか
やりたいことをどんどん実現していく力とか
側から見ていてずっとすごいなと思っていた。
高校入学後の進路はバラバラで
連絡も取っていなかったけれど
大学生になって共通の知り合いを通じて
彼女のブログを知った。

相変わらず自分がやりたいことに一直線の彼女の姿は
眩しくて、力強くて
日々ただ生きづらさを感じていただけの自分が
霞んで見えて、苦しかった。
彼女が先天的に恵まれていて
私が持って生まれてこなかった容姿や実家の経済状況を
言い訳に考えようとしたけれど
それを差し引いたって
彼女の努力とそれで身につけた能力は
文章越しにもキラキラと光って見えた。

あのブログを私はおそらく10年以上も
iPhoneのsafariの新規ページにブックマークしていた。
途中で更新しなくなった本人より見ていたのではないだろうか。
(そう考えると自分ちょっと怖いかも笑)
見るたびにモヤモヤして
自分が不甲斐なくなって
でもその感情と向き合わないといけないと思った。
人と比べたって仕方ないって思っても
時間は同じだけ平等に与えられているのに
彼女がいろんなものを獲得していく間に
私は同じところをぐるぐる回っているだけのような気がして
ひたすらに焦っていた。

彼女のブログをiPhoneの画面から消せたのは
ほんのこの数年の出来事だったと思う。
それはつまり
彼女が得てきたものと私が欲しいものは必ずしも同一ではなくて
私は誰かの真似をする必要はなくて
私のなりたい姿を目指せばいいと思えたのが
ここ数年の出来事だということ。

人と比べることは、誰に教わることもなく簡単に自然にできるのに
「人と比べない」ことはこんなにも難しい。
私は30年近くかかってしまった。
何かにつけ遠回りしがちな私はいつも
「だからこそ得てきたものもあるはず」と
半ば自分を慰めるように思うようにしている。

一直線に進む彼女が何を思ってどう行動してきたか、
その過程で何を得てきたか、
私には知る由もないから比べようもない。
確実に一つ言えることは
私は私なりに遠回りして
ここまで辿り着けた、ということ。
苦労をして得た未来予想図を
もはや簡単には手放せないほど
その過程にたくさんの想いが詰まっているということ。

人はいつだって誰かの代わりになることだけは無理だから
遠回りでも旋回でも
自分の経てきた道のりを
受け入れるしかないのだと思う。
歯痒い思いもあるけれど
それができるようになったら
きっと自分だけの世界の扉が開く印。
そう信じて一日一日を刻んでいきたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?