「デザインする卵」
あるところにたくましい卵がありました。
しろく、坐りのいいたまごです。手のひら大でもち重りがし、鼻を近づけるとつめたい日のような、ぬれた花びらのような匂いがします。
それはデザインする卵と呼ばれていました。
営みに含まれてあるものですから、年月に忙殺されていくうち、あまり気に止まらなくなってしまったかもしれませんが、手の行き届かないところで正誤を整えてくれるくらいには、あめつちの役に立っていたためです。
あるときは、一人の女がデッキブラシを買い求め、それでまちのタイルというタイルを磨きあげました。
腰を曲げ、せっせと額には汗を浮かべて。
なにしろすばらしい仕あがりになりましたので、磨く床面積が手近なものだけではこと足りません。
が、ゴミ回収場を磨き、路面を磨き、西の寺にある飛び石をひとつずつ磨き、ビル街で非常階段をぴかぴかにすると、ついに磨けるような箇所はなくなってしまいます。
「…どうしたもんかな」
なにやら円いものに彼女は腰かけ、
「ふうっ」
と目から真珠を出すくらいの固いため息を吐きました。
あるときは、そらから半分、視えているようないないような光の束を棚びかせ、それでゆら、ゆらとこのまちの植生を変化させました。
カーショップが立ち並んだ一帯をえらび、街路樹からぽろりと蛹が垂れます。
鈴なりに、重くたわわなぶどう目のように。
けれども所詮、行きがけに目にするくらいのものでしたから、わすれられたまま年月が過ぎると、ぱっくり割れて、まちにいきものが殖えました。
睡るころころした裸のものでした。
「蹴飛ばしちゃだめだよ」
と母ならばさとし、
「河童だって、土の子だって、生きてるんだから」
わかり切ったことを我が子にいいます。この時点においてはその人も、単に善意としてそうたしなめたにちがいありません。
裸のものは、日一日とまちを埋めていきました。
キャッフェを、道を、ときには放りだされた洗濯かごまで。微動だにせずともどうしてだか集い、まるくなって睡るそのものたちは、視る人の心をやわらげました。
半目をひらき、目を返されました。
かげはうすく、肌がいくらか日に透けていました。
イオンモールにある立体駐車場では、道化師に紙芝居などが演じられており、こども客を坐らせるためにと、靴さきでそのものをかき散らしました。
疎く、まるまり、なき声ひとつあげませんが、なにものかに与えられた権利を行使し、やがて道化師は姿を消します。
不満におもわれたご夫人方は、わざわざひと気ないところへまで棄てに出ました。
市民公園の隅っこの方では、やはり遊びざかりのこどもたちによって、それは投げたり、潰したり、そのおもうままに扱われます。
「…本当に、やるの?」
ランドセルをしたままで草むらに突っこみ、
「ほら。これ」
と頬を汚した少年が、目当てのそれをさぐり当てました。
どこかでみたような赤鼻や、みみずや、蛙や、乾涸びた避妊具とともにひき摺りだされ、すっかり腐り果てているさび釘を、ふた指で固定しそしていいます。
「踏めよ。どばっと、とび散るぜ」
彼らにはもちろん、もう大人になるということがありません。
そうやって日々は危うく過ぎさり、見るみるまちは狭く汚くなっていました。
足の踏み場もないほどにうまれ、死にもせずものたちは殖えていきます。まちの四隅へと溜まっていくのは、それらの吐息が凝固した澱で、雪片とちがって融けづらく、しろくそこかしこに放られたままです。
まず磨くところには困りませんから、彼女にとって、これ以上求むべくものもなかったでしょうか。
その日々がふた月ほどつづきました。だけど、通行の邪魔だし、目ざわりであったし。もう耐えられない。ある日、どこからか呼び声が掛かって、ものたちを一斉に、まとめることになりました。
みずの流れる、側孔の中へと。
なにしろ看過できないほどの分量となっていましたから、仕方ないことです。秋を終えかけたもう肌ざむい日のことで、老いも、若きも、善い人であっても、その手には得物がとられていました。
モップであるとか、把手がぺかぺかのシャベルであるとか、できるだけ安穏でありそうな道具をえらぶと、ものたちを孔の奥底へと押しこみました。
「このまちは神さまのものなのにな」
用無しになったデッキブラシを踏みつけながら、
「人の方が消えちまえばよかったんだよ」
とそれをさいごに、彼女ごと用無しになっておしまいになります。
けれど、目にふれる場所からしりぞけたところで、物事の解決になるなどというのは、やはり疎かなかんがえといわなければなりません。
あるものは流され、三角海域の沖をただよい、あるものはどこかで引っかかったまま、側孔を行き過ぎていくみずに浸ると、今も小暗いすき間からこちらへ、指が第四関節ありそうな視線を、送りつけているのだとだれかはいいます。
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