ys_novel

齋藤優です。 作家、かもしれません。「たべるのがおそい」とか。

ys_novel

齋藤優です。 作家、かもしれません。「たべるのがおそい」とか。

最近の記事

「白昼セゾン」

 偶の休日、子供を旦那にまかせて表へと出ると、大概はたまプラーザ駅ビル二階をふら、ふらと歩く。有隣堂があり、ユニクロがある。改札の上部が吹き抜けになり、見下ろすとそこはかなり低い。加熱式たばこ専用の喫煙ブースに立ち寄って、しばらく休む。その後は一階まで下りてもみるし、もしくはブリッジを渡って別棟に移る。とくにするべきことがあるでもないが、ふら、ふら歩き、加熱式たばこ専用のブースへと立ち寄ってしばらくそこで大好きな人のことをおもう。  それとはべつに、徘徊aのこともときどきは

    • 「木の達磨」

       およそ一年振りに母の実家に行ってみると、折わるくみんな出掛けていた。  クリスマスの飾りを手伝って欲しいといわれていたのに。連絡すると、全員で買いものに出たのだそうだ。ひどいな、とつぶやいて居間でぼんやりしていたところに、寝惚け顔をしたミツキがとぼとぼとやって来た。 「…お姉ちゃん。来てたの?」  いって狼狽したようにその場で身姿を整えた。  わたしは彼女の背後にまわると、よれたサスペンダースカートの肩紐を直し、柔らかな髪にさっと指を入れてあげる。 「寝てたんだ」

      • 「デザインする卵」

         あるところにたくましい卵がありました。  しろく、坐りのいいたまごです。手のひら大でもち重りがし、鼻を近づけるとつめたい日のような、ぬれた花びらのような匂いがします。  それはデザインする卵と呼ばれていました。  営みに含まれてあるものですから、年月に忙殺されていくうち、あまり気に止まらなくなってしまったかもしれませんが、手の行き届かないところで正誤を整えてくれるくらいには、あめつちの役に立っていたためです。  あるときは、一人の女がデッキブラシを買い求め、それでま

        • 「Sは、Nと、カリウムと、象印な日々」

           Sは、Nと、カリウムと、  1、むらさき  2、えーっと、肌いろ  3、みどり  4、黒  と彼女にそう訊かれ、肌いろ…?  なんて恐るおそるこたえる。           「ママは何いろが好きでしょー?」  ▽  Sは、Nと、カリウムと、  キッチンで揺らぐ鍋のふたを長いこと見せられていた。 「ちょっと」とN、 「ん?」とカリウム。 「そんなに食べないでよ」 「ああ」 「雑炊はつくって、一時間後がうまいんだから」  と、Nはたびたびそう主張

        「白昼セゾン」

          「祝福セゾン」

           父は金曜日にうまれたが為に、厳格な人だった。  小田舎ながらも旧家のうまれで、なに不自由なく裕福に育ったのだけれど、その生涯を勤勉であることにのみ捧げた。夜を徹して重たい本のページを繰り、夜を徹して勤め人にあるべき姿をまっとうした。実際のところ神経が細く、不安なきもちを押し留めることができなかったのかもしれない。おそらく一睡も得られなかったのであろう六月の朝、突如として厳格な父である足場をうしなって、居間に立ち竦んでいる姿を見たことがある。  澱んだひとみで一点を見つめ

          「祝福セゾン」

          「窓がくる」(掌篇)

           二階にも、四階にも七十七階のエレベーターのまえにも、いつからか同じ貼り紙がたて看板にぺたりと貼られ、通るたび目につくようになっている。  たとえ部外者にどうとられようとも、住むものにとってそれは只ごとではない。五階、六階、それぞれの禁忌事項としてあげられるのが、公共のスペースで立ち止まらぬこと。騒がぬこと。またどのエリアでも歌、はな歌、口笛、指でリズムを刻むなどの行為をなされぬこと。呼ぶから。なにを見たとして気に掛けぬこと。極力タバコもつつしまれること。とにかく無用に、そ

          「窓がくる」(掌篇)

          「チヒロと恋の神さま」(掌篇)

           ある日チヒロは、新書サイズの包装紙を破った。  べつに注文していた文庫本の包みといっしょに。中身は新種の神さまの種だった。新種の神さまの種は、一年みず遣りを怠らないで気温にまかせ、陽の光にさえ任せていれば、春には立派な神さまの実を実らせるというものだった。  楽しい一年を過ごすあいだに、チヒロはふたつのアルバイトをやめ、一度は男性と別れたのだけれど、それはまたあたらしく恋を始めようとしている頃だった。 ……プチトマトでも、大蒜の芽でもないもの。  と悦ばしげにチヒロは

          「チヒロと恋の神さま」(掌篇)

          「見たら死ぬという絵はがき」(詩)

           ▽  煉瓦いろの淋しい塔だった。  曲がってはいなくて、入り口がない。  そのてっぺんで、掟の通りに、  塔守りの娘がお印をかじる。                                          「一族」  ▽  なぜ?  なぜ、って?  と彼は人差し指の逆剥けをちぎった。  どうしておちんちんがもうひとつ欲しいの?  ぼくはさ、好きなんだよね。触っているのが。                    「いつも、いくつも、

          「見たら死ぬという絵はがき」(詩)

          「キスをする双子」(詩)

           ▽  それじゃあ、いくわね。  押すの?  だめ?  いや、でも舐めるの?と、彼は訊いた。                                   「舐めるのボタン」  ▽  きのう、学校でね。  と娘の友だちが話し始めた。  算数のテストでフランスパンを使ったの。  つくえにパンを転がして、犬がどうたべるかっていう問題、  たべ切れないと、焼いてきちんとたべさせてあげて。  それがすごおく香ばしくって、わたしおなかがへっちゃった

          「キスをする双子」(詩)

          「ある人たちには目撃られていた殺人」(掌篇)

           ぼくの田舎がテレビにでることに決まった。  それはある女性タレントが夜道を歩きまわる番組で、野太い彼女の声がすてきだった。普段から歯に絹着せぬものいいで人気のひとだったから、ぼくの家族、親族たちは大喜びだった。  この話は、知人がぐうぜん、撮影現場に居合わせたときのこと。ちょうど真夏日の連続をどうにかやり過ごした頃で、夜七、八時くらいの道ばたは、蝉とコオロギの重圧のせいで押し潰れそうに歪んでいた。  いやに星の多い夜だった。  側道にはワゴンや、ライトバンが停められ

          「ある人たちには目撃られていた殺人」(掌篇)

          「鬼がいた公園」(掌篇)

           鬼がいて、駆けだす。彼にはもう光りがないのだ。身を打つことには慣れるしかなく、犬を蹴り、春かぜに怯えていた。何度もつまずき、ひざを汚し、走行停止中のボンネットに身体ごと乗りあげてうめいた。  公園でその後ろ姿をこどもたちが見ていた。  なかの多くは立ち止まり、ブランコの坐板に揺さぶられ、それか掴んだ母の袖を手放しながら。棒を携えた人たちが、全方位から俄に集まっていた。公園の隅では、弱気なぼくがかぜに戸惑っており、泣くつもりもないのに泣いていた。おそらくそれは、見た目には

          「鬼がいた公園」(掌篇)

          向日葵が平行線に島をうむ(俳句)

          向日葵が平行線に島をうむ カンパリを壜で砕いて墓洗い 炎ゆる日やうさぎが耳で泳いでく みじか夜に竜から電池をつまみ出す そらが割れグラジオラスに瞳をひらかせて 絵のような苺の味をくち移し

          向日葵が平行線に島をうむ(俳句)

          「Sは、Nと、カリウムと、すてきな物体」

           ▽  Sは、Nと、カリウムと、  すてきな物体を手に入れてきた。  それは海にも、山にも、  都会の高いところにもないもので、  手ですくうとキラキラと甘い音をたてた。 「いい」 「ああ」 「これ、すごくいいよ」とNの嘆息、  またしばしの堪能。  そこに舌をつけ、耳をつけ、目玉をつけて。  だけどこんなにも量があったら、  三人はいつまでこの物体に拘ってなくてはいけないだろう。  すてきなそれはひびきを残し、  スーッと温かく肌にしみこむ。 「なく

          「Sは、Nと、カリウムと、すてきな物体」

          「プアの花」(詩)

           ▽  朝、テレビを見ていたら、  すごく懐かしい友だちがでていた。  その娘には立派なあかんぼがいて、  難病にかかって手術の日だった。  演出か事実か雪だった。  大勢でそれを待つのだけれど、  手術は無事大成功した。  そして感動の乾き得ぬまま、  母の元へと連れられてくるとき、  あかんぼは銀いろの台のうえで笑った。  そのおくるみにプアの花柄は縫いつけてあり、  わたしは蹴つまずいてコンセントを抜く。                  

          「プアの花」(詩)

          「晴れの一日」(掌篇)

           盛大で華やかな一日だった。  とはいえ、紳士服を着ているのは若いバーテンダーの子だけだったが、肩を組んだり、肌けたり、訳もなく大勢が騒いでいた。  のら猫は恍惚として顔を洗い、たんぽぽが花を閉じていた。そこら中でイモリが愛を交わし、それを横目に通り過ぎていくのは、川からあがってきたばかりの沢蟹だった。幅一メートルもありそうな藁帽子を被ったご夫人がいた。きっと伊勢丹主義者なのだろう、妙なるお草履を突っかけていた。その足もとをすばやく風が抜け、しこたま笑いのめされた道化師が

          「晴れの一日」(掌篇)