「窓がくる」(掌篇)
二階にも、四階にも七十七階のエレベーターのまえにも、いつからか同じ貼り紙がたて看板にぺたりと貼られ、通るたび目につくようになっている。
たとえ部外者にどうとられようとも、住むものにとってそれは只ごとではない。五階、六階、それぞれの禁忌事項としてあげられるのが、公共のスペースで立ち止まらぬこと。騒がぬこと。またどのエリアでも歌、はな歌、口笛、指でリズムを刻むなどの行為をなされぬこと。呼ぶから。なにを見たとして気に掛けぬこと。極力タバコもつつしまれること。とにかく無用に、そこを開けたり閉めたりするな。窓がくるから。と、そしてさいごに、この館内の通気設備になんら問題のないことが、曰くありげな監察済みの赤じるしともにちいさく書き加えられている。
立入御免の最上部五階を含めると、八十二階にも及ぶこの高層居住施設の法的な所有者が変わることについては、以前からとり沙汰されていることだった。が、誰ひとり本気でそんなことを気に病んでいるものはいなかった。なにしろ別段、生活に支障が出るらしいものでもない。
しかしいま、面前に結果としてあらわれているのは、およそそんな生易しげなものではないのだった。
「窓が、くる?」
「…そうよ」
ということばのつづきに、父母が思慮したことよりもずっと難儀なもの。
窓女、窓男、窓わらしの類いがわたしにとり憑き、声がする。あなたの意識は、十分にあなただけのものではない。と、齢九十を過ぎた老婆が吹聴するそれを、信じるとすれば生活の一部、あるいは大部分の修正を余儀なくされる。きこえるだけではない。と、ビルの所有者となった彼女は話す。動かされるのだ。と、壊せ、なぎ倒せ。という深奥内部の命令に背くのが、どんなことか。そこを開けるな。閉じたりもするな。姿を映しも、見もするな。昼も夜も、月も日差しも、あなたが感知感応すべき対象物なんかではない、と。
居処を投げ棄てるすべのない人らは、気密されたそこで黙々とくらす。
八十二階分の通気設備は、きょうも半生半物のケモノじみた音吐で、背えたかのっぽの巨大な洞を低く物々しく唸らせている。
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