「ああ、オーキド」
ドント公園には犬がいた。
近所の家の飼い犬であり、吠えた。噛みつくとも噂されていて、サビいろをした体躯で坐っていられると、銅合金の置きモノに見える。筋肉質でゴツ、ゴツしていたし、毛並みは短く、まだらなグラデーションのそこには光沢があった。
手入れしたのでないとはおもうが、黒っぽい前髪を生やしていた。
ふしぜんに額から垂れ下がり、キッとそのすき間から虹彩が覗く。
戸成さんちの赤ちゃんが指を喰いちぎられた、とか、木曜日にカゲがなかったのを見た、とかという噂話は、概ねトウ子さんによって流されたモノだ。
「…アリャ、ディモンの類いだよ」
という出だしが独特で子供たちの耳を集めた。
「おちんちんがもう、こんなにあるんだからさ」
親指と小指をウンと遠ざけ、両手分繋げたそれをわたしたちに見せる。
「きみたちにそのことはまだ早かったか」
そうわらった彼女はとある昼頃に亡くなった。
急に。そこだけぽっかり抜け落ちたみたいに。
心臓が悪いのに五年分も薬を引出しに溜めていたのだそうだ。トウ子さんは、毎日その公園にいて、いつ見ても口のなかが真っ黒だった。
隣接したアパートに一人きりで住み、生涯孤独の身であったという。実のところは地主であり、父が借りていた駐車場や、携帯ショップとピアノ教室のあった雑居ビルや、自らが住んだアパートからやがて保育園になる旧野球場まで、みんなあの人のものだったって。というのは以前母によりきかされたものごとである。
すでにお分かりのことかとおもうが、トウ子さんは町内の鼻摘まみモノだった。
子供らについてはそのかぎりでなく、妙にわたしたちと仲良くしたのも、煙たがられる所以のひとつであったのだろう。
前髪のある犬を飼っていた家にも、同じくらいの嫌われモノがいた。
トウ子さんいわく、その人とは犬猿の仲であり、何度となく殺し合う寸前のところまでいった、らしい。
その人は滅多には表に出て来なかった。
庭には大きな杉の木があった。まえに、教室で楽しくないことがいくつかつづき、毎日は行けなかったことがある。学校鞄とともに家を出て、その杉の木のあたりに投げ込んだ。そしてアパートの非常階段に身を潜め、犬を眺めて夕方を待った。
土を蹴るのを、草花を嗅ぐのを。
または概ね寝そべっているのを。
内密にそれをオーキドと呼ぶことにも決めた。
ときにはそこにいることさえも耐え難くなり、階段からひと気がないのをよく確認し、コッソリとその庭の隅っこにしゃがんだ。
オーキドは迷惑そうにして去った。
むっとビタミンの匂いが濃くしたことを憶えている。
そこで泣いたり、唄ったり、木の枝で地面を掘り返したりしているときに、そっと杉の木のカゲから顔をだし、がらす窓のうちにいるお婆さんを見た。
考えてみれば、トウ子さんがいなくても噂話に新作があるのはふしぎなことだ。
長年の経験から勘を掴み、子供たちが流したのでないともいえないが。もしかすると、あの婆さん、あるいは放し飼いにされたオーキドを、深く疎んでいるのはトウ子さんだけではなかったのかもしれない。
五年ほど経って、公園から犬がいなくなった。
中学には電車で通うようになり、彼がいなくなったと気づくのに、しばらくは掛かってしまったようにおもう。
「どうなったか知ってる?」
数多くない友達にそんな報せをすると、
「ううん。全然わかんないな」
返事が素っ気なくて傷ついた。
また五年経って、その家は見るからに荒んでいった。
きっとあの婆さんも死んだのだろう。また五年経ち、街のかたちはずいぶんと変貌したものの、杉の木の家だけがそこにある。トウ子さんがいたアパートも、雑居ビルも八百屋のあった曲がり角も、みんなマンションになったというのに。
善いことと悪いことが積み重なり、オーキドはわたしの奥底に埋まった。
年に何度か戻ってみると、実家の窓からはそらを突く高い建物が見え、そのすき間にはヌッとした太陽の半分が見え、高層マンションの展望エリアを撫でるように飛ぶ烏たちの黒い姿が見えた。
結婚をとり辞めて実家に戻り、わたしは日々そのあたりを散歩した。
杉の木の家は荒れ放題で、誰かがしのび込んで火遊びでもしたのか、屋根の片側が焼け落ちていた。キシッ、という鉄製の門を後ろ手にとじ、見てみるとゴミで溢れ返っていた。缶やら、雑誌やら、プラ塵の山やら。靴で掻き分けて隅っこへ行き、窓がらすの失われたうち側を眺めてみたが、わたしからはもう涙のひとつもこぼれなかった。
中華屋が潰れ、遊歩道が出来、どうしてか薬屋は六軒も立った。
唯一原型の残された路地にはブルワリーを備えたバーが出来た。
また五年が経ち、母と父が小田原に引っ越した。
また五年後にあの家は打ち壊されて道になった。