家族と尊敬の話
実家に帰ってきてから早2週間が経つ。私はお父さんととても仲がいいが、それでももちろん、数年離れて暮らしていたため考えのギャップなどはある。
そんな父と夜の散歩にたまに出かける。
私は祖父母とも一緒に暮らしているが、正直普段は嫌になるくらいに喧嘩が多い。喧嘩というか嫌みの言い合いみたいな?まあ、本音で話してるって言ったらそうなんだけど、それでもなんでみんなそんなに嫌みが言えるんだ、もっと優しくできないのかと思うこともある。そんなときは正直お父さんを子供だなーと思うこともある。
私の家はおじいちゃんが始めた会社をお父さんが継いだのだが、田舎は結構2世が多い。家族経営をしている会社が意外と多いことに最近気づいた。そこでお父さんと散歩中にふと家族経営の話になった。
2世によっては、経営の方法なんて何も知らないのに急に任されて大変な人や、1代目のお得意さんを2代目がうまく引き継げないということもあるらしい。私の家は飲食のような接客業ではないにしても、やはり働くということは人と関わることだから、お父さんにもお得意さんの話を聞いてみた。私の家の場合はお父さんが仕事をする相手とおじいちゃんが仕事をする相手が違うことも多いから、おじいちゃんのお得意さんを必ずしも引き継がなくてもいいと言っていた。そしてそこに、人はサービスや機能で商品などを選ぶのではなく、やはり結局は”人”で選ぶのではないかと思う局面があった。
お父さんが、おじいちゃんのお得意さんの所に代わりに仕事に行っても、”時間がある時におじいちゃんにもう一回来てほしい”と言われるらしい。もちろんそれはお父さんの技術が悪いとか接客が悪いとかそういうことではなく、やっぱりお父さんにはかなわない、おじいちゃんとそのお得意さんの”関係”や”間柄”があるからだと思う。お得意さんてそういうものなんだろう。
その話をしてくれた時に、いつもおじいちゃんと喧嘩ばかりのお父さんだが、”おじいちゃんにはいくつになっても敵わない”と言っていた。家の前の夜の真っ暗な田舎の道を散歩していたから堪えられたし、見えなかったと思うけど、そんなことを言っているお父さんを尊敬したし、それを言われているおじいちゃんのこともやっぱり偉大だなーと感じた。
絶対そんなこと、おじいちゃんの前ではお父さんは言わないと思うけど、そうやって自分には敵わない尊敬できる存在が家族にいるって幸せだなと思った。やっぱり大人になるとすぐ涙腺緩むなとも感じた初夏の夜。
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