恐怖と不安と「なかまたち」
2024/10/12
家の近くの喫茶店/自宅にて
中学生の僕はback numberが好きだった。
学校では大ブーム。男女問わずたくさんの同級生が『高嶺の花子さん』を聞いていた。
嘘をついていた。
本当は、back numberなんて数曲しか知らなかった。
本当は、ビートルズとマイケル・ジャクソンを聴いていた。
けれど、学校での「僕」はback numberが好きだった。
流石に知っていた『高嶺の花子さん』でさえ、個人的に何度も聞き返すほど好きなわけではなかった。(今は思い出補正も入って好きです)
輪から外れないために周りに合わせることに必死で、「back numberが好きだ」と言うことだけが、自分が周りから置いて行かれないための唯一の方法だった。
自分が好きなものを、自信を持って好きだと言えない
おそらく、back numberが好きで、大人数の飲み会も楽しみ、競争社会にストレスを感じない「普通」の人たちにとって、この命題は理解不明だろう。彼らは自分が好きなものを純粋に好きだと言っても、それが社会の平均的な「好き」なものと同じだから。
(追記:誤解を招かぬよう書き加えておく。僕は「back numberが好きで、大人数の飲み会も楽しみ、競争社会にストレスを感じない人」が嫌いなわけではない。)
対して僕は、自分が好きなものを言うことにいつも抵抗を覚える。
「お前らなんかにわかるはずがない」と諦めている気持ちもほんの少しだけあるけれど、それ以上に「こいつは変な人間だ」と距離を置かれるのが怖いのだ。
「個性」と「変」は表裏一体だ。
「個性」「センスがいい」などともてはやされることも、一歩間違えば「変」「イキってる」などの言葉で片付けられてしまう。
大学に入ったばかりの頃。
「羊文学とかくるりが好きです」
好きではない大人数のご飯会で言った後、みんなの上で「?」が生まれ、自分に見えないレッテルが貼られていくのを感じたことがある。
「気取ってる」
「変なやつ」
「もっと普通にすればいいのに」
「多分一歩間違えたんだな」と思った。
それからと言うもの、一歩間違えてしまい悪目立ちすることが嫌だから、好きなものを好きだと言えないことに拍車がかかった。永遠の悩みだ。
人がなかなか聞かない音楽を聞いていると「天邪鬼」だと言われる。
明るい電気が苦手で、間接照明を使うと「イキっている」と言われる。
自分が素敵だと思う環境にいると「意識高い系」だと言われる。
一人で行動していると「変なやつだ」と言われる。
それでもやはり、ビートルズやマイケルを流せば心は踊るし、羊文学やくるりを流せば溢れ出しそうな自分の闇の部分に蓋をできる。
自分が純粋に気に入っていることでも、容赦無く評価する人たちは一定数存在している。ひどい場合には、笑ったり批判したりする。
彼らは、自分たちと違う人を見つけては粒立てて評価する。
自分たちと異なる人を評価することで、自分達は「普通」だと確認する。
何かが「好きだ」と言う気持ちは主観でしかないから、その人以外にその人の気持ちがわかるはずがないのに。
わかるはずないのに、他人の「好き」を評価したがる人があまりにも多い。
他人のことを評価していないと不安になる人たちはたくさんいるから、そう言う人に出会った時は適当に受け流すようにしている。そっちの方がどう考えても健康だ。
逆に、僕は相手のことを評価してしまった時はいつも後悔して数日間引きずる。どうしたら無意識に他人を評価するのをやめられるのだろうか。
色々考えているうちに、僕を含めてみんな自分は「普通」だと信じていたいのだ、と言うことに辿り着いた。
普通じゃないのが怖くて、普通じゃないのが不安なのだ。
時は経ち、大学生になった。
京都で一人暮らしを始め、好きなものに没頭できる生活を手にした。
しかし、そんな今でも純粋に「好き」なものを「好きだ」と言えないのは変わらない。
やっぱり、僕の世代の僕の周りの人たちにビートルズやマイケルは受け入れられないし、夜の眩しい電気が得意な人の方が多い。
でも昔と違って、僕は「みんな自分は「普通」だと信じていたい」ことを知っている。だから、そんな彼らにどう言われようと自分が好きなようにするし、他人の「好き」を否定しないように心がけている。
ましてや、「変」だと言われるのもアイデンティティだと思うし(笑)
昔はあれこれ言ってくる人たちのことを全員「敵」だと思っていたが、今はもう違う。
僕は知っている。自分もあいつらも同じだ。
自分は「普通」だと思っていたい、「なかまたち」であることを。
これを書いている僕は今、自宅の間接照明の下でくるりの『京都の大学生』を聞いている。
明けて今日は京都音楽博覧会。
茨城と千葉で取り合ってる音楽フェスと比べると規模は小さい。
back numberも来ない。
でも、大好きな音楽を、大好きな人達と感じられることに胸が高まる。
『京都の大学生』/ くるり
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