お湯でも

2001年生まれ。 モラトリアムを生きる。

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最近の記事

思い出の喫茶店、酸っぱすぎるレモネード

2024/10/30 家の近くの喫茶店にて その喫茶店は、大学入学を機に京都に越してきた僕の前に突如現れた。 2021年、最初の3ヶ月で歓喜と絶望を一年分味わった。 年始に安定して赤本で合格点が取れ、予備校の先生と「大丈夫だろう」と"たかをくくっていた"憧れの志望校。結果判定システムに表示されたのは淡白なゴシック体で皮肉にも大きく書かれた「不合格」の3文字だった。 大学入試に失敗し、重い足取りで京都に向かう。4月になって、大学生活は始まり、「楽しんでやろう」と意気込むも

    • 「生の芸術」に「触れる」

      2024/10/27 自宅近くの喫茶店にて 最近、体調がすこぶる良くない。 体調が良くないと言っても、熱が出るとかそういう話ではない。なんとなく心のどこかに何かが引っかかって取れない。 喉の奥に魚の骨が刺さって取れない感覚に似ている。 勉強していても「心ここに在らず」というような感じで、無意識で別のことを考えてしまう。父親には、小さい頃から「地に足つけろ」と耳にタコができるくらいに言われてきた。 それなのに、23歳になった今も地に足はついていない。こっちの大学に進学して

      • 「余白」で、ととのう

        2024/10/21 自宅にて 夏が終わった。 段々と温度差が無くなっていって、秋の香りがし始める。 毎朝寒さと格闘しなければいけない時期が近づいてきているようだ。そろそろアップしなければ、怪我してしまう。 「懐かしいな。この時期だな。」 気温や香りは、記憶と密接に結びついていると思う。この時期になると、小学校の時のあんな思い出や、中学校のあんな思い出を思い出すから。 僕にとって秋と冬の始まりは特別な時期で、胸が詰まるといえば良いのか、息を止めた時みたいな感覚に包まれ

        • 紛れもなく、京都はホームタウンだった。

          2024/10/15 自宅にて 午前11時、くるりの『ブレーメン』をBGMに、バス停から徒歩で梅小路公園へ向かっていた。BPMは84くらい。聞いている曲はゆっくり進むのに、なぜか不思議といつもより心が弾み、足が早く前に出る気がする。 毎年晩夏に開催される音楽フェス、京都音楽博覧会2024(以下、音博)に参加するのだ。音博は僕の大好きなアーティスト、くるりによって催される野外音楽フェスで、例年様々なアーティストが舞台に立つ。 ここ数年音博が開催される日は天候に恵まれること

        思い出の喫茶店、酸っぱすぎるレモネード

          京都音楽博覧会2024 控えめにいって最高でした。 どうしてもあの景色を忘れたくなくて、記憶が鮮やかなうちに絵に描いて部屋に飾ろう。 そう思って描いたら、自分の想定より良いのが描けたのでここにも載せちゃう🙂‍↕️ 記憶は生物なので、"味も匂いもする"うちにちゃんと文章にも残そう。

          京都音楽博覧会2024 控えめにいって最高でした。 どうしてもあの景色を忘れたくなくて、記憶が鮮やかなうちに絵に描いて部屋に飾ろう。 そう思って描いたら、自分の想定より良いのが描けたのでここにも載せちゃう🙂‍↕️ 記憶は生物なので、"味も匂いもする"うちにちゃんと文章にも残そう。

          恐怖と不安と「なかまたち」

          2024/10/12 家の近くの喫茶店/自宅にて 中学生の僕はback numberが好きだった。 学校では大ブーム。男女問わずたくさんの同級生が『高嶺の花子さん』を聞いていた。 嘘をついていた。 本当は、back numberなんて数曲しか知らなかった。 本当は、ビートルズとマイケル・ジャクソンを聴いていた。 けれど、学校での「僕」はback numberが好きだった。 流石に知っていた『高嶺の花子さん』でさえ、個人的に何度も聞き返すほど好きなわけではなかった。(今

          恐怖と不安と「なかまたち」

          感覚を「耕す」

          2024/10/09 大学付近のカフェにて 数日前、とある縁があって僕は梅田芸術劇場にいた。 人生で初めてのバレエ公演(正しい表現かはわからないがここでは「公演」としておく。)を観劇していた。 今回のバレエは、よくイメージされるようなバレエの公演とは違い、お笑いの色を加えた“コメディバレエ”と言うジャンルに当たるらしい。 会場に到着すると、思っていたよりも多くのお客さんがいることに驚いた。 グッズの列は曲がり角の先まで続いているようだったし、写真撮影スポットにも列ができ

          感覚を「耕す」

          異端児のジレンマ

          2024/10/06 自宅にて 昔から大人数での飲み会が苦手だ。 具体的に言えば、「4人以上で開催される、終わりが見えない飲み会」だ。 世間では、飲み会に顔をださなければ協調性が無いだとか面白く無いだとか言われ、陰で文句を言われ、笑われる。それは不本意なので、どうしてもいかなければまずそうな場合は、無理して参加する。 全く、現代人は常に何かを嘲笑っていなければ不安なのだろう。 多様性が叫ばれるこの現代で、心の多様性に配慮する必要はないのだろうか。全く呆れてしまう。 大人

          異端児のジレンマ

          非日常への逃亡とTOHOシネマズの装飾灯

          2024/10/04 自宅にて 子供の頃、車で映画館に連れて行ってもらうのが好きだった。 いつもと違う場所で、ジュースを買ってもらえる。そんな不純な動機だったのかもしれないが、とにかく好きだった。 道中、車から見えるすべての景色が「特別」だった。 絶えず流れる田園風景。飛行場から飛びたつ飛行機。プランクトンが大量発生したと報道された広くて汚い用水路でさえも。 映画館は天井が高く、外から光が入らない設計になっている。 暗い館内に赤色の装飾灯が施され、大音量で映画の予告編が

          非日常への逃亡とTOHOシネマズの装飾灯

          夜の東側

          2024/10/02 近くのカフェにて 夏が終わる。 友人とのドライブや楽しかった旅行も、みるみるうちに過去の産物と化す。 時間には可逆性が無いので、今そこに居るはずの思い出たちとの距離は時間が経つと離れてしまう。残念ながら、自分は神様でも仏様でもないから、時間を戻すことはできず、過ぎゆく日々に体を任せて生きていくしかない。こうして老いて、孫の世代に説教するようになるのだろう。 じゃあ、その頃には遥か遠くになってしまっているはずの思い出たちは。 ああ、寂しいな、もう。

          大学4年、はじめてnoteを書いた。

          大学生になって4年目、初めてnoteにトライします。 何から始めるのがいいんだろう。 右も左も分からないし、特に誰かに需要があるわけでもない。 そんな文章の書き出しを考えているこの時間は、最近ではもう忘れてしまっていた「春の新学期」みたいでちょっとだけくすぐったいな〜とかクサいこと思いながらも、文章を書くのは嫌いではない(好きだというには国語力が乏しい)ので、自分なりにトライしてみようと思います。 僕は京都に住んでる大学生(一浪)で、キラキラしたサークルに入ることもなけ

          大学4年、はじめてnoteを書いた。