見出し画像

夜の東側

2024/10/02
近くのカフェにて


夏が終わる。

友人とのドライブや楽しかった旅行も、みるみるうちに過去の産物と化す。
時間には可逆性が無いので、今そこに居るはずの思い出たちとの距離は時間が経つと離れてしまう。残念ながら、自分は神様でも仏様でもないから、時間を戻すことはできず、過ぎゆく日々に体を任せて生きていくしかない。こうして老いて、孫の世代に説教するようになるのだろう。
じゃあ、その頃には遥か遠くになってしまっているはずの思い出たちは。

ああ、寂しいな、もう。


久しぶりにエッセイを書く(文章も拙いし構成も整っているわけではないから、エッセイというかXの長尺ポストに近いことは自分でもわかっている)。
なんだか気恥ずかしくて過去の文章は全部非表示にしたら、新学期みたいな感覚になって高揚する。

院試の勉強が忙しいことを理由に、自分の思いを言葉にすることが少なくなった。もともと文章を書くことは好きで、普段からポツポツと書いてはいたけれど、最近はぷつりとやめてしまっていた。

この頃僕は、確かに生きていた。でも、生きている実感とは程遠い。

「やらなきゃいけないこと」に毎日が飲み込まれてしまって、時間が過ぎていることに気づけない。過ぎてしまった時間に後で気づいて焦りが込み上げ、心に余裕がなくなる。

このままでいいのかな。周りの人には笑われるかな。

過ごしてきた家庭環境もあってか、昔から他人がどう思うかばかり気にしていた。
そんなことばかり考えてしまう自分が嫌いだ。
いっそのこと何もかも投げ出して、楽になってしまいたい。心の中で頭をブンブン振って、また机に向かう。そんな毎日を繰り返すうちに、鏡の中の自分に違和感を覚えるようになって、うまく笑えなくなるのだ。
いや、というよりも、笑い方を忘れてしまう感覚に近い。夜が怖い。

これじゃだめだ。

見返りを期待することなく自分を支えてくれるのは、大切な人たちと丁寧な生活、そして音楽だけだ。日が上ると同時に目を覚まし、シャワーを浴びてパンを焼く。1時間くらいかけて体を起こして動き始める。
頑張るときは頑張って、家に帰れば音楽に耳を傾ける。たまに映画を見たり、大切な人たちとの時間を過ごしたりする。コーヒーを啜りながら本を読んだり、料理をしてみたりする。そしてまた、机に向かう。日が変わってちょっとして布団に入る。

「今何してます?コーヒーでも飲みに行きません?」
「ええよー」「今飯食ってるからちょっと時間かかる」

そんな生活を1週間くらい続けてみた。
みるみるうちに、生きている実感が湧いた。

意図的に休もう。自分をもっと大事にしてあげよう。そう思った。
多分、大抵の人間は気づかずに自分を追い詰めてしまう。忙しくなると、休みも休みではないような黒魔術にかかり、それに拍車がかかる。負の感情が体の51%以上になり、健康でなくなる。人は追い詰められることに気づかない生き物なんだ。だから自分で休まなきゃだめなんだ。

23歳にしてやっと、孫に言いたいこと1つ目が手に入った。冷静に考えれば当たり前のことだけれど、自分だけが知っている秘密の裏技を見つけたみたいで嬉しい。


確かに、時間に可逆性はない。だからこそ、今この瞬間はエモいのだ。
遠ざかる思い出だけでなく、これから生まれる思い出に目を向ける。もう寂しくなんてない。僕は次来る新しい思い出のために頑張るし、次来る新しい思い出のために今を生きる。明日勉強終わったら何をしよう。映画を見ようか、それとも音楽にしようか。読書でもいいな。

「大切な人たち」と「音楽のある丁寧な生活」に囲まれている今ふと思う。
ああ、やっぱりいいな。

蝉の声はもうしない。時より心地いい風が吹くこの季節が、どうしても好きだ。京都の夏に終わりを感じながら、今夜もSpotifyを開く。

さよならする夜の東側
ゆっくり、そうゆっくり暮れる
隣り合わせの明日を待つだけ



ここからは余談です(笑)
実家ではいつも父がテレビを占領していました。それで、僕は昔からラジオが大好きです。人生で一度はラジオやってみたい(好きな曲を淡々と流していたい)と思っていたので、ここでやります。

ここは僕の中では「余談と一曲のコーナー」で、僕がその時流したい曲(聞いてほしい曲)をただただ流します。偏ってるんで絶対に重複もするけど、お構いなしです。

主要音楽アプリのurlも下につけておくので、よかったら読み終えた後、一緒に一曲楽しみましょう。

それじゃ、最後に一曲。今日はタイトルでもあるこの曲で。
サカナクションで、『夜の東側』

余談でした

『夜の東側』/ サカナクション


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?