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思い出の喫茶店、酸っぱすぎるレモネード

2024/10/30
家の近くの喫茶店にて



その喫茶店は、大学入学を機に京都に越してきた僕の前に突如現れた。

2021年、最初の3ヶ月で歓喜と絶望を一年分味わった。
年始に安定して赤本で合格点が取れ、予備校の先生と「大丈夫だろう」と"たかをくくっていた"憧れの志望校。結果判定システムに表示されたのは淡白なゴシック体で皮肉にも大きく書かれた「不合格」の3文字だった。

大学入試に失敗し、重い足取りで京都に向かう。4月になって、大学生活は始まり、「楽しんでやろう」と意気込むも、深層心理では何の気力も起こっていなかった。

気を紛らわせようと開いたYouTubeのおすすめ欄には「今年度の受験総括」みたいな動画ばかりが並んでいる。東大を出た心無い講師たちが、ご自慢の学歴を振り翳しながら「今年は難易度がどうだ」みたいな感想を言い合っている。
コメント欄は勝者のコメントで溢れ返り、互いの健闘を称え合っていた。
敗者のことなど、視界の片隅にも入っていないらしい。

そんなこんなで、YouTubeにも逃げられず、たどり着いたのが散歩だった。



僕の住んでいる場所は、確かに大学生が多かったが、幼稚園や小学校もあるような住宅地でもある。はたまた、「飴屋さん」などという、いかにも古風な店もあるような場所だ。明らかに負のオーラを纏っている自分が日中外に出ると、何となく街の色を暗くしてしまう気がしていたから、家を出るのは出るのは日が落ちてからにしていた。

今考えれば、ほとんど怪物とか亡霊の類だ。

御伽話や童話に出てくる恐ろしい怪物たちも、本当は受験に失敗し、その先の人生に悩んでいて、迷惑をかけないために夜を好んでいたのかもしれない。きっとそうだ。あの頃の僕と同じだ。

数日間続けて着ているグレーのパーカーをかぶり、スマートフォンのイヤホンジャックに白いイヤホンを突き刺す。雨が降っていたので、傘を持って徐に外に繰り出し、行くあてもなくただただ2時間ほど彷徨う。

今考えれば、やっぱりほとんど怪物とか亡霊のそれである。



帰り道、それは突然目の前に現れた。
交番を曲がると、深夜の路地に一筋の灯りを見つけた。
近くまで行くと、それは小さな喫茶店だと解った。
隣にある小学校はもちろん、商店をはじめとする周りの建物の灯は完全に消えている。その喫茶店は、暗闇の中で暖かい光と不思議な安心感を放っていた。

財布を持っていないことなんて忘れて、足を踏み入れた。ドアを開けると同時に、カランコロンと乾いた音がした。

愛想の良くないマスターがこっちを一瞥し、「どうぞ」とだけ言った。
薄暗い店内は、ほのかなタバコの煙とコーヒーの香りが漂っており、質の悪いステレオスピーカーから軽快な電子音とタンバリンに乗せて聞いたことのないバンドの曲が流れていた。格好良かった。
カウンターには中年男性とタバコを咥えながら本を読むクールな女性が、奥のテーブルには大学生らしき女の子の3人組が座っていた。

僕は1人用の小さなテーブルに座った。愛想の悪いマスターから差し出されたメニューに一通り目を通し、レモネードを頼んだ。
薄切りのレモンが乗ったそれを口に含むと、酸っぱすぎるくらいの酸味とほのかな甘味が口いっぱいに広がる。

久しぶりに「味」がした。

店内の本棚から宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を手にして1時間ほど時間をつぶした後、会計を行おうとした時に自分が財布を持っていないことに気がついた。
幸い、その喫茶店は家から徒歩で5分くらいのところにあったので、電話をとるふりをして財布を取りに行った。気づけば雨は止んでいた。

いかにも「電話、長かったな」みたいな表情をつくって店に戻り、550円を支払って店を出る。



あの日はじめて、どうしても好きになれなかった京都のことを、ほんの一部だけ好きになった。それを機に、京都の街を一人で散策するようになった。少し早そうな自転車を買って河原町を目指した。台風の近づく雨の日には、バスに乗ってバナナの木のあるカフェに行った。台風の次の日には、Xでみたオオサンショウオの目撃情報を確かめるために鴨川に足を運んだ。移動で疲れた体を休めようと銭湯も巡った。

こうなると話は早かった。夜でもあの喫茶店に行けば一人の時間を楽しめるようになったし、多くはないが、一緒に過ごす素敵な友達もできた。あの喫茶店のおかげで僕の人生は前に進んだし、あの喫茶店のおかげで僕は京都が本当に好きな場所になった。



当時カウンターに座っていたあの中年男性やタバコを咥えたクールな女性は何を考えていたのだろうか。奥のテーブルに座っていた大学生らしき3人組は何を話していたのだろうか。僕には想像することしかできない。

ただ一つはっきりわかるのは、グレーのパーカーに身を包んだ一体の哀しき亡霊が、感覚を取り戻した一人の人間に生まれ変わったということだけだ。

雨の日、イヤホンだけを耳に刺して家を飛び出し、「現実」から「逃げる」ために駆け込んだあの喫茶店。暖かい光とともに漏れ出す不思議な安心感は、確かに僕の心を安心させ、確かに僕の人生に一筋の灯りを与えた。

あの喫茶店に憧れて、豆からコーヒーを淹れた。
あの喫茶店に憧れて、自室にはいくつかの間接照明とスピーカーを置いた。
あの喫茶店に憧れて、たくさん本を読んで棚に並べた。

今でもやっぱり、そこは僕にとっての「理想郷」だ。
机の上のストローに口を近づける。気のせいかもしれないが、なんとなくあの時よりも酸っぱい気がする。



余談です。
実はこの時、喫茶店で最初に流れていたのが、くるりの『ワンダーフォーゲル』でした。で、はじめてくるりの音楽をきちんと聞きました。

『ばらの花』だけは受験期によく聞いていたんですけど、くるり自身のことはそんなに知らなくて(笑)

くるりというアーティストを認識したのがこの時で、いいなと思った『ワンダーフォーゲル』が『ばらの花』と同じアルバムに入っているのも少し驚いたのを覚えています。

んじゃ、今日はこの一曲。最近、好きなアーティストの偏りが目立ち始めていますが、好きな曲をかけることが目的なので(笑)
くるりで、『ワンダーフォーゲル』

余談でした


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