非日常への逃亡とTOHOシネマズの装飾灯
2024/10/04
自宅にて
子供の頃、車で映画館に連れて行ってもらうのが好きだった。
いつもと違う場所で、ジュースを買ってもらえる。そんな不純な動機だったのかもしれないが、とにかく好きだった。
道中、車から見えるすべての景色が「特別」だった。
絶えず流れる田園風景。飛行場から飛びたつ飛行機。プランクトンが大量発生したと報道された広くて汚い用水路でさえも。
映画館は天井が高く、外から光が入らない設計になっている。
暗い館内に赤色の装飾灯が施され、大音量で映画の予告編が流れるあの場に入った時の感覚は、ナイトクラブに初めて足を踏み入れた時のそれに似ている。久しくあそこで映画を見ていないが、今はどんなだろう。
変わっていなければいいなと思う。
初めて映画を見たのは、たしか5歳の頃だった。
あるシリーズもののSF映画だ。父に連れられ、近くのTOHOシネマズに向かう。英語の音声に日本語字幕。今考えると映画館初体験、まだポケモンも持っていない5歳の子供を連れていくにはあまりにも親のエゴがすぎていると思う。漢字は難しいし何を言っているかわからない。メッセージ性なんて頭の片隅にも残らなかったけれど、激しい音と光に心を掴まれた。
その日から、その映画の過去作に溺れた。僕にとっての当時の楽しみは、戦隊モノでも仮面ライダーでもなく、そのSF映画だった。全作見て、また少し開けて全作見た。親がクリスマスに買ってくれたキャラクター図鑑はすり減るまで読んだ。親が起きている時間は基本的に親にテレビは取られてしまうので、まだ太陽の出ていない頃に起きて一人で再生し、暗い部屋で映画館気分を味わった。物音に気づいた母親に「目が悪くなるから」と、怒られもした。少し悪いことをしているような、その時間が大好きだった。
映画はいい。面倒臭いこと、嫌なこと、考えたくないこと、全て忘れられる。別に、マイナスなことばかり考えている人生ではないし、忘れたいことばかりではないけれど。
いい意味で受動的な体験だから、本を読むよりも圧倒的に楽だ。この「楽さ」が映画のポイントだと思う。何もしなくていい。ただ見るだけ。「楽」だからこそ、忙しい日常を忘れさせ、自分を純粋な没入体験へと誘い、ただ座っておくだけで楽しめるのだ。
先日、友人の就活相談に乗った。
「何してるときが一番嬉しいの?」
「現実から一番遠いところにいる時かな」
「というと?」
「俺いつもそうやねん、旅行してる時とか、ライブ行ってる時とか」
友人の言葉にハッとした。僕が映画に惹かれるのは、現実から遠いところに居られるからだ。やらねばならないことに追われているのが日常だとすると、非日常に逃げられることが自分を休めるのである。
思い返せば、子供の頃もそうだった。TOHOシネマズは、自分にとって非日常だった。
19歳、1年間の浪人期間を経て一人暮らしを始めた。友人にも恵まれた。尊敬できる先輩にも会えたし、尊敬してくれる後輩もできた。本当に幸せだと思う。どれだけ幸せな生活でも、やらなければいけないことは降ってくる。日常が迫ってくるのだ。毎日のように迫ってくる日常に毎日挑む必要はないと思う。非日常に逃げればいいのだ。
非日常に逃げることが苦手な人はたくさんいる。自分もそうだった。やらなければならないことに埋もれて、休めていない人。考え事ばかりで眠れない人。そういう人こそ、何もかも忘れて徹底的に優雅に映画を見てみればいい。時間がかかるし、無駄な時間みたいに見えるけれど、何もかも捨てて没入する時間は2時間以上の価値があると思う。
自分がそんな人たちの気持ちを全部わかっているなんて、そんな傲慢なことを言うつもりは全くない。だけど、そんな人の非日常への背中を押せたらいいなと思う。少しでも人生に余裕を持って生きていける人が増えれば、日本には幸せな人が増えると、心から信じているから。
テレビをつけ、Disney+を開く。便利な時代になったものだ。徐にサイト上を徘徊し、無数にある映画の中から何を見ようかと悩み、最終的に一つの作品に辿り着く。
ポップコーンとオレンジジュースを用意して、再生ボタンを押す。
星が溢れる広い宇宙を背景に、黄色の印象的な文章が流れてゆく。
『Yesterday』/ The Beatles
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