「余白」で、ととのう
2024/10/21
自宅にて
夏が終わった。
段々と温度差が無くなっていって、秋の香りがし始める。
毎朝寒さと格闘しなければいけない時期が近づいてきているようだ。そろそろアップしなければ、怪我してしまう。
「懐かしいな。この時期だな。」
気温や香りは、記憶と密接に結びついていると思う。この時期になると、小学校の時のあんな思い出や、中学校のあんな思い出を思い出すから。
僕にとって秋と冬の始まりは特別な時期で、胸が詰まるといえば良いのか、息を止めた時みたいな感覚に包まれる。苦しいとかではなくて、懐かしい、あの感じが好きだ。
小学校、中学校の思い出は思い出すのに、高校以降の思い出はほとんど何も出てこない。子供の頃は感性が豊かだったのかな、と寂しくもなる。
ちょっとだけ。
実家にいた時の慣例から、毎年完全に寒くなる前に大掃除を行う。
ぼちぼちシンクの掃除とか風呂掃除とかやんなきゃなと思い、最近は少しずつ掃除をするようにしている。クローゼット内の整理とかね。
日曜日、寝具を洗うことにした。
洗い方を調べるのが面倒で、寝具を替えたい時はいつも買い替えていた。お金が勿体無いとは思いつつ、割と忙しい生活をしていたから仕方なかった。
最近、とある理由で節約を心がけているので、今回はそういう訳にもいかず、「自分の精神を一緒に洗濯しよう」なんて思いながらの行動だった。
家の洗濯機は一人暮らし用の小さいものだから、寝具なんて洗えるサイズではない。というか、安物だからそもそも信用できないので、洗濯機を使っての洗濯は早々に諦めた。
「布団 洗濯 一人暮らし」
相変わらず便利な時代だ。調べたらすぐに出てくる。僕は面倒だという理由だけで、こんなにも小さなことをサボってきたのか。
あーもう、もったいないなー。少し悔しい。
大学生。お金がないし、面倒くさいのでコインランドリーに行くのは億劫だ。色々調べた結果、自宅の浴槽を使うことにした。
今日は勉強は放っておいて、部屋の掃除と布団の掃除でもしよう。
ワクワクしながら布団の皮を剥いだ。
浴槽の1/4くらいまで、30°Cくらいのお湯を貯める。
先ほど剥ぎ取った布団カバーたちやベッドシーツをお湯の中に投げ込み、洗濯用洗剤を少々。入学当時の料理ブームを刺激されそうだ。
半ズボンでぬるま湯に足を踏み入れる。
踏む。たくさん踏む。ポップミュージックを流す。踏む。踊る。
濁ったらお湯を抜き、また栓をしてお湯を貯める。
布団と自分を重ねる。いつも生まれるどうしようもない不安や怒り、将来への不平不満、いろんな悪性分が自分から出ていく。水に溶け出す。全部流してしまう。これはかなりストレス解消になる。最高の気分だ。
水が透き通るまで繰り返した後、布団を干すためにベランダに向かう。
ドアを開けると、真っ白な布団が外からの光に照らされて反射して、なぜか部屋の色が青色になっていた。多分、布団が空の色を反射していたのだと思う。掃除をすると部屋が異なる姿を見せてくれるんだ、いいね。
絞った布団をベランダに干す。いつも以上に晴れ、風が吹いていたので、気持ちがいい。勉強を放り出した日、風に当たって揺れる寝具たちを見て、「ととのってるな〜」なんて思った。そんなことを一人で考えていた僕の心も、多分ととのっている。
勉強しなきゃ、仕事で結果を残さなきゃ、私生活の充実をアピールしなきゃ、世の中にはたくさん「しなきゃ」が溢れている。特に何も武器がない僕は、なんとか武器を身につけようともがいていた。「しなきゃ」に追われる毎日が嫌いだった。
「しなきゃ」に追われると、掃除なんて不合理な時間の使い方はせず、家が寝るためだけの場所になる。
洗濯物が散らかって本の高層建築が立ち、自宅にタイムズ・スクエアのジオラマが完成する。
疲れて帰宅した先がタイムズスクエアなら、心が休まるはずがない。
僕にとって、「部屋の状態」と「自分の心の状態」は同時接続されている。
部屋が散らかっていて、足の踏み場がないと、心の中の足の踏み場もなくなる。人の優しさは心の余裕の表れだから、心に余白がないと人には優しくできない。こうなると負のループだ。
そんな時は、部屋を片付ける。無意識の中で気持ちが片づき、人に優しくしようと思える。それだけで、少しだけ「ととのう」。
さあ、今年も後少し、頑張りすぎないように頑張ろう。
『September』/ Earth, Wind & Fire
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