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育てる力って、見守る力なのかもしれない
1人1人が最上(さいじょう)の暮らしをすることを広げたくて、山形県最上地域にある新庄市にて、喫茶と間貸「万場町 のくらし」/スナックCandy山形の店主をしています『最上のくらし舎(もがみのくらししゃ)』よしのゆうみ です。
地域の拠点になる『場づくり』を数年やり、今子育て真っ最中で”共通するな”と思うところがあるのでnote
育てるときの目線3つについて
「過干渉」「過保護」「見守る」
この3つって似ているようで全然違っていて、子育てコラムとかでも「過干渉」「過保護」は子供の自尊心を下げるとか、選ぶ力を奪う親毒とかってたくさん記事が出てきて、なんとなく最近の気になるワードになっている。
この「過干渉」「過保護」の根底には”間違っちゃダメ”みたいな教育もあると思っているんだけど(ちょっと割愛)
「過干渉」と「過保護」の違いはググると出てくるけど
過保護は、子供が望むことを親が行いすぎてしまうことを指します。
それに対して過干渉とは、親が望むことを子供に対して行いすぎてしまうことを指すという違いがあります。
どっちも”〜が過ぎる”わけだよね。限度を超えてしすぎてしまう。
私が学んできたアーユルヴェーダでも、1つの質が多すぎることをその性質の増悪と表現したりして、何かに偏ることは基本的には不調になったり、歪みが生まれる要因と考えるんだよ。何事もバランスってことなんだけど。
この”限度”っていうのがまたむずかしいよね。
やってもいいけど、やらなくてもいい。くらいの
過ぎちゃったら、戻れるくらいの
おっとっと、やりすぎちゃったよ、ごめんごめん。って言えるくらいがちょうどいいかもしれない。
あ、話がずれた
「過干渉」「過保護」「見守る」の3つの共通点と違い
言葉の整理
過保護:子供が望むことを親が行いすぎてしまうことを指し
過干渉:親が望むことを子供に対して行いすぎてしまうことを指す
ということの違いみたいで
見守るっていうのは
見守る:見て、番をする。監視する。気をつけ大切にする。じっと見つめる。熟視する。
ってネット検索だと出てくるんだけど、
これまた【見守る】と【見張る】が混ざっちゃってると思うんだよね。w
それで、私の言いたい【見守る】というのは気をつけ大切にする。じっと見つめる。ただ俯瞰してみているよ〜ってだけでいいんだわ。
何が言いたいんだっけ。あ、えっと本題ね。
育てる力って、見守る力なのかもしれない
ついさ、できる人はできない人をみて口出ししたり、間違わないように指摘したり、失敗しないように指導したりすると思うんだけど。どうやるかどうかは最終的に本人に任せて、失敗してもいいから、失敗したとしたら次にどうするか、って経験を積ませて『次へ次へ』と行動するのをただ見守っていくのが、最終的には一番成長するんじゃなかろうか。
(あれ、っていう普通の話。)
失敗したり、、、、やばい!こりゃあかん!どうしよう!!!
って、ピンチにならないとその人の脳みそから動かないし、心も入っていかない。というのかな
地域ごとでも、子供たちでもさ。
親やできる人が先回りして準備や段取り、道を整える行為そのものをやってしまうと本人たちは何も経験しないまま『できてる感じだけ』手に入れて、実際は何もしてきてない、ってなってしまう。
次にその人たちを手を借りずにやってみよう!ってなった時に、あれ、どうやるんだろう?と、大きな戸惑いが目の前に出現するだけで、身動きが取れなくなってしまうこともあるんじゃないかと思うんだよね。
実際、私のお母さんがしっかりもの(というか、めちゃくちゃ頑張り屋さん)だったから、大きな苦労をしないまま、伸び伸びと育ってきまして、フリーランスになってからゲロがでそうなくらいストレスを抱えたりしたけど、そういうプレッシャーがあったから、今もなんとか生きている気がする。(#未だにプレッシャーには弱い #すぐに頭いっぱい真っ白になる )
でも、見守る力はめちゃくちゃあったと思っていて
何をするにも基本、反対はしなかった。(と思っている)
私もつい過保護になりすぎちゃうんだけど、
バランスとりたいなーって思っているよん!というnoteでした。
▼あと、これ。めちゃ共感したので共有しておきます。
1人で3役することのしんどさ!理解できて、吹き出した!
かなり情緒不安定になるw