2020年5月25日(月)

今、私は学生の学習動機が生まれるプロセスについて最近気になっている。
一言に学習動機といっても、何を勉強するかによってさまざまなである。英語を勉強している大学生は海外で活躍したり、留学することを志しているかもしれない。中学生や高校生であれば、特にやりたいわけではないけれど、怒られるのは嫌だから仕方なくしているのかもしれない。これも学習動機の一つだ。

実は今挙げた二つの動機は、主体性があるか否かという観点で異なる。自ら目標を設定し勉強するということと、先生や親に言われて勉強するのでは動機の質が違うからだ。だが、この二種類の動機はたいてい入り混じっており、共存していることが多い。たとえ強制的に勉強させられていても、そこに問題が解ける楽しさを感じ始めたら、主体性が生まれる。

こんなことを調べていると、ふと、この二つの動機を共に持ちえていない人は誰だろうと考えた。すると私の頭には、意識高めをアピールしてくる人のことが浮かんだのだった。

私はいわゆる意識高い人、があまり得意ではないのだが、就職活動中には時々出会うことになった。彼らは言うことや話の論理性は正しいと思うのだが、本当に有言実行しているのかと疑問に感じる。

もし彼らが口だけで自慢して何もなしえてないのならば、成長性が見えない動機に苛まれていると思う。まあ、そんな嘘つきばかりではないと思うのだが。