2020年4月10日(金)

気負ってしまう性格は、良いことじゃないかと思う。

例えば、他人に見られる場面や、周囲からの期待を感じたときに、精一杯準備をして、本気を出すことが出来る人は得てしてそういった性格だろう。

そして、こういった性格をもつ人はかつて(今もかもしれない)、「いい子」とか、「よくできた子」と言われたのではないだろうか。

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というのも、私がそうだったからだ。

子どものころ、無口ではあったが、勉強や礼儀は仕込まれていたので、祖父母や親せきの人には、「いい子」というカテゴライズをされていた。
当時の自分はその言葉を正直に受け取り、いつの間にかその言葉を期待して行動するようになった。

その「いい子」という言葉は年齢とともに形を変え、〇〇高校や〇〇大学という固有名詞にもなった。けれど、思うところは特に変わらず、むしろどうすれば正解か、という答えが分かりやすくなったように感じていた。

結果として、「いい子」という周囲の期待に目一杯気負いし、小学校から国立大学に現役合格するまで、そのキャラクターを見事に演じきった。

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ところが、就職活動で受難が訪れる。

今まで、その「いい子」がもつ価値観に依存していた自分にとって、就職活動は「何もないところから何かを作りだす」という言葉がぴったり当てはまった。

社会人になってやりたいこと?
理想とする将来の姿?

今までは、こんなこと考えなくても生きてこれたのに、と思う時もあれば、
これってそもそも自分が考えないといけないことなの?と質問に質問したくなるときもあった。

はじめは小学校の卒業文集みたいだと思った質問も次第に慣れていったけれど、今も本当の答えが分からないままだ。

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実は、「いい子」というカテゴライズによって就活に苦労した話を書きたかったのではなくて、日記に気負いするような出来事があったという書き出しからつらつら書いてしまった。

でも、今日良かったことは、誰かに見られている感じが、自分にとってずいぶん気負いするものだと知り、それが自分の良いところなのではないか、と気づいたことだ。

これを就活界隈では、「自己分析」って言ったりする。