「肌色」とBLM
「肌色」と言われると、幼稚園のときに使っていたクレヨンの色を思い出す。あのうすいだいだい色だ。今でもそう呼んでいる人は多いのではないだろうか。
実はこの言葉は使われなくなってきている。ご想像の通り、人種差別につながる言葉だからだ。現在多くのメーカーは「肌色」から「うすだいだい色」へと表記を変えている。
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この事実を知ったとき、今まで静観していたBLM(Black Lives Matter)に対する私の意見は大きく変わった。
私は現在大学院に通う学生であり、大学には多くの留学生がともに授業を受けたり、研究を行っている。そういった環境にいるからむしろ、この問題には個人的に解決しているという自負があった。
言ってはいけない言葉や表現方法、そして偏見といった問題は私自身として気を付けていることであるし、そもそも人種差別意識のある人は私のコミュニティには存在しない。そのような環境から、静観していても世代交代が解決していくのだろうという想像があった。
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ところが、この「肌色」の話を聞いたとき、個人を超えた問題があることに気づかされた。それは日常生活にある悪意のない、しかし人種差別を想起させる言葉である。これらはすでに常識的な表現として成立している言葉だが、今の時代には適さなくなっているということだ。
ここに私は静観してはいけない理由を感じたのである。
この問題解決は誰かの差別的感情が無くなることを目指すものではなく、私たちの周りからあらゆる差別につながる表現をなくしていくことではないか、と。
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「静観することは現状を認めてしまっている」
という言い分をよく見かけるが、その言い方は感情まかせに終わっている。私たちの多くは同調すれど、協力する方法が分かっていないのだろう。だからこそ、ここで一つの協力方法をnoteで発信するという形で示したつもりである。