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死してなお、美しい人の話
私の祖母は魔女だった。
家に遊びに行けばいつだって綺麗に化粧をし、いつでも同じ髪型をし、黒を基調とした派手やかな服を着て出迎えてくれた。薔薇柄のティーセットにお茶を入れて、アイスクリームを用意してくれた。キティちゃんが好きな私に、箱いっぱいのキティちゃんを用意していてくれたこともあった。幼少期の私から見た祖母は、どこかこの世のものでないような雰囲気を持っていた。
彼女は、自分を魔女だと言っていた。
母や叔父も面白がって便乗し、ヒルを煎じて飲んでいるだの、背中に炎を纏ってるだの言っていたが、私は「嘘だ」と言って相手にしていなかった。
祖母は美しくあることに全力を注ぐ人であった。言葉遣いに厳しく、礼儀を重んじた。美意識が高く、何年経っても見た目が変わらなかった。街中で100m先にいても絶対に見つけられるし、子供がいる歳になっても孫がいる歳になっても、道で声をかけられていた。
華道家であった祖母は何よりも花を愛でていた。
「花のように美しく」
そう生きてきた人だった。
祖母の人生は、何かと苦労が多かったそうだ。幼い頃に父親を亡くし、お嬢様だった暮らしは一変。苦難を乗り越え祖父と結婚するも、彼の奔放な性格に手を焼く日々が続いた。裕福そうに見えていたが生活は厳しかったようだ。その分、祖母は自立した性格であった。誰にも頼ろうとせず、生きていこうとする人だった。
祖父が亡くなった日、いつもと変わらず凛とした姿で棺を見送る祖母を見た。小さい祖母が誰よりも大きく見えた。
それから一年もしないうちに祖母は倒れた。
幸い命に別状はなかったものの、半身に麻痺が残り車椅子生活となった。大学が長期休みに入ると、地元に帰って見舞いに行った。
魔女はすっかり人間になっていた。
病床に横たわる祖母は私が知っている姿よりだいぶ小さくなっていた。元気そうに振る舞うも、なんだか別人のような気がしてしまった。母に写真を撮るように頼まれたと言うと少しだけ祖母の顔が曇った。私はビューティープラスを開いて、これなら綺麗に撮れるよ、というと祖母は安心したような顔をしていた。
祖父と祖母は、夫婦というより好敵手だったと母は言った。いなくなったら張り合いがなくなっちゃったのかもね、と母は困ったように笑った。
リハビリをし、在宅介護に切り替えてその後数年は元気に過ごしていたがやはり元のような状態には戻れず、祖母は私の25歳の誕生日のすぐ後に亡くなった。仕事を早退し、新幹線に乗って祖母の家に着くと、先に着いていた母と親族達が出迎えてくれた。我が家特有ののんびりとした空気の中で穏やかに眠る祖母の姿は、小さな人間そのものだった。
やっぱり魔女だなんて嘘じゃん。
永遠にずっとなんてあり得ないのは分かっていたけど、なんとなく実感が湧かなかった。
棺にはたくさんの祖母の好きな花をつめて、特に頭の周りには胡蝶蘭を敷き詰めた。すると火葬が終わった骨が薄らと桃色になっていた。実は胡蝶蘭と一緒に火葬すると、遺骨が桃色になるのでやってほしいという祖母の遺言だった。
それは、死してなお美しくありたいと思う、魔女の魔法だった。
私は、あの日祖父を見送った祖母のようにはなれなかった。桃色の遺骨はあまりにも美しく、魔女の最後に相応しかった。
最後まで気高く美しく生きた魔女の姿を、私は生涯忘れることはできない。