サザン聞いて泣けてきたら大人になったと思う
母の一人称が、最近「私」になった。
この違和感は何だろうと思ったらずっと一人称が「お母さん」だったのだ。
「お母さんね」「お母さんはね」と言っていたので、なんとなく「私は〜」という母に違和感を感じてしまったのだった。
ちなみに、父も母のことを「お母さん」と呼ぶ。祖母が「お母さんって呼ばれると自分のことだと思ってたけど、今は違うのよ」と笑っていた。
母と私の関係はこれからも変わることなく「母と娘」なのだが、今年一番下の弟が就職したこともあり、一旦「母の子育て」は終了したことの証のような気がした。
母はサザンが好きだ。
私も小さい頃からずっと親の影響で聞き続けていて、当たり前に側にあるものの一つだった。
最近サザンを聴いて泣く。
人が感じる世の中の不条理や理不尽や諦めを歌い、それでも人を愛することを励ますことを喜ばしいとする。
世の中はまだまだ暗いけど、ふとした瞬間の気付きだった。
常に前向きである必要はないし、全人類を愛する必要はないし、無理に夢を追う必要もない、疲れた時は疲れたと言っていい、そうやって生きていくことは決して悪いことではない。
早く母がライブに行ける世の中になるといい。