「恋」の意味を考える
タイトル詐欺かもしれないが、今日する恋の話は恋愛の話ではなくて「恋」という字についての話である。
私の親友は、所謂文学オタクだ。学生時代の話だが、彼女が友人と喧嘩したと言ってきたことがあった。理由を聞くと、「そんなことでって言われると思うんだけど」と前置きし、こう言った。
「恋、って漢字は下に心があるから、恋には下心がつきものだっていうのね」
「でもさ、旧漢字の恋の字、分かる?」
「いとしいいとしいと言う心って書くんだよ」
「戀って字を作った昔の人は、絶対そんなこと思ってつけたわけじゃないんだよ」
なるほど、と思った。
試しに、漢字の成り立ちについて調べてみた。
糸と糸を引き合う様子と心臓を意味する象形から生まれた字であるとのことだった。
糸を引き合うのは「心が惹かれる」という運命の赤い糸のようなものであるとのことだった。
私は親友の言ったことを「そんなこと」とは思わなかった。他人から見たら大したことなくても本人からしたら重要なことなんていくらでもあるし、そう言った端々の考え方でその人と合う合わないがなんとなく分かったりするものだ。
今は旧字はほぼ使われなくなっているので、下心と思いがちなのかもしれないが、成り立ちを考えればそれが後付けなのは分かる。
ちなみに「愛」という字の成り立ちについても調べてみたのだが、こちらは頭と心と足から成り立っていて、「頭を巡らせ、足を動かす人」を表している。
つまり「恋愛」という字は、相手のことを想いながらあれこれ悩んだり動いたりする人を現れなのである。
言い得て妙、現代の恋愛も古代の恋愛も何も変わらないのかもしれない。