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絵を描ける人が羨ましい

文章を書いていると、絵という媒体に対する嫉妬心を抱くというか、勝てなさを痛感することがたくさんあります。特にSNSが一般的になってから、一層絵を描ける人が羨ましいと思うようになりました。

村谷由香里です。
noteをご覧いただきありがとうございます。

作ったものを人に見てもらいたいというのは、創作をする人間の根幹にある欲だと思います。わたしも誰も見ていない場所で文章を書く気にならないし、この日記だって公開していなかったら3日と続かなかったでしょう。

といっても、文章というのは受け取りにくい媒体です。読むのに時間がかかるし、想像力を必要とするし、ぱっと見ただけで好みかどうかわかりにくい。時間と体力に余裕があるときじゃないと向き合えないから、わたし自身買った本を半分以上積んでいます。

一次創作で細々と作品を公開していた期間が長いため「小説は読まれないものである」という実感は常にありました。
アリオトというサークルで作る本が企画ものばかりだったり、イラストに焦点を当てたものが多いのは、小説だけの本を作っても売れないだろうという諦めがまず根底にあるからです。

わたしが作る星の核は確かに文章だと思うのですが、外から見えるきらめきはいつもイラストに支えられている。サークルメンバーも物書きよりイラストレーターのほうが多くなりました。
アリオトという恒星の名を冠していながら、物書きとしてのわたしは今までずっと、惑星を作ってきたのかもしれません。外からの光で輝く星です。

せめて読みやすいものを書こう、美しい文章を書こうと、文章力を磨くことにすべてをかけてきたのも、文章という媒体に対する自信のなさの表れでした。

半年くらい前かな。
ツイッターではじめてバズるという経験をしました。

これはアリオトにもたびたび参加してくれるはるやさんから言われたことなんですが、今まで思いもしなかった視点ですごくびっくりしたんですよね。

確かに、文章は絵ほど多くの人には見られない。特に流れの速いSNSとはあまり相性の良くない媒体ですが、生きている誰かの一定の時間を深く支配する力が、文章にはある。
色も音も味も匂いもやわらかさもない、これはたったひとりで作った、ただの記号の羅列に過ぎないのに。

もし神様が「今からお前に絵描きの才能をやる」と言ってくれても「いいえ、わたしは文章を書きます」とわたしは言ってしまうのだろうと思うのです。
文章というものに対してどこまでも捻くれた感情しか抱けない。それでも、どうしても、わたしはこれが良いと言ってしまう。そんな事実が絶望であり、希望です。

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村谷由香里
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