穴を掘る〜ドビュッシーの考察
先日から、穴を掘っている。受刑ではない。
かつて裏庭には花きが植わっており、初夏には白くこんもりとした花で長いこと楽しませてくれた。いつしか病気になってしまい、枯れ、地面から20cmほどを残して伐採されていた。今では残った切り株が風化し、徐々に破壊が始まっている。園芸で裏庭を訪れるようになってから切り株を撤去したい気持ちが強くなり、あるときスコップを入れ始めていた。
掘っても掘っても掘っても終わりが見えない。根は力強く大地に向かってどこまでも伸び、全てを掘り起こすことはとても無理そうである。インターネットで調べたところによるとチェーンソーやナタで根を切りながら進めるらしいが、そのような器具は持っていない。例えば鉄格子に毎日少しずつ味噌汁をかけて劣化させて脱獄を図るように、直径5cmほどの太い根も少しずつスコップで叩いていけば、いつの日か破壊できるのではないか。キツツキになった気分で、少しずつスコップで根を突き刺していった。客観的には絵面が怖い。徐々に顔から汗がぽたぽた吹き出し、地面に飛んでいく。サウナでもこんなに汗をかいたことはない。映画の登場人物にでもなった気分で、自分にちょっと酔いしれる。
何日かしばらく続けていると、本当に根が破壊できるようになった。良い調子である。じきに切り株がグラグラ動くようになったが、幹の延長下には直径15cmほどのラスボスの根が待ち構えていた。これはさすがに味噌汁作戦では無理かもしれない。切り株に片足をかけ、横から思い切り力を加えて根を斜めにしならせる。根の斜め上に両足で完全に乗っかって体重をかけると、トランポリンのようにぼよんぼよんと揺れた。突然の衝撃で、股関節を痛めた。
乗っかる作戦は諦めて、とりあえず切り株周りの土を掘り出す。穴を掘る。掘りまくる。掘っている最中、ずいぶん前に一度だけ文化センターで観た太陽肛門スパパーンの「♪あ〜なを〜、ほ、ろ、う、あ〜なを〜、ほ、ろ、う」という曲の一部がループし始めた。なぜかこの曲だけよく覚えている。ループする箇所はホールトーンという音階で作られていて、「なぜ急にホールトーン??」との印象が強かったから、覚えているのかもしれない。
ホールトーンは全音音階であり、半音のない6音の音階である。半音音程は調性を特徴づけるので、全音音階は調性を指向しない。C.ドビュッシー の前奏曲集第1集第2番『Voiles〜帆』において使用され、調性音楽からの離脱がみられる。
参考動画
https://youtu.be/QGkaJXcmddM
調性を指向しないとは解決しないということで、ホールトーンは浮遊感や無限ループを生み出す。前出の『帆』では音型と音高の変化で音楽を進めていき、途中でなぜか黒鍵のみの5音音階を挟むが、最後まで半音音程による調性を確立することはない。(ちなみに一部、旋律の経過音としての半音は存在した)
この機会に実際にさらってみたが、全音音階は鍵盤楽器にとっては”逆に”大変である。ギターやベースは半音ずつフレットが打たれているので並行移動が得意だが、鍵盤楽器の平行移動はとっさに難しい。鍵盤楽器の白鍵を見てわかるように、そもそもが全音と半音の混合で並んでいる。理論的に考えてみれば通常は7音の音階が6音に減ったわけだから楽になりそうなものだがそんなことはなく、譜面も臨時記号が増えて大変読みづらい。
それにしても『帆』は見事にオクターヴ内の6音で作られている。長音階や短音階は7音であるが転調や装飾のために音階外の音を使ってもよく、オクターヴ内に使える音は全部で12音あるのだから、単純に考えると使える音が半分に減っている。日本語で文章を書くときに今日から25音しか使えなくなったら、不便きわまりない。同様に、3分超の小品とはいえ、どこかで別の音を使いたくてたまらなくなってくるだろうが、ドビュッシー の制約した音使いは新しい「サウンド」の概念を生み出した。転調や装飾での音文脈を放棄し、トーンとしては同じ場所に留まり続け、音型と音高によってのみ音楽を進める手法が、その後はシェーンベルクの「音色旋律」へと発展していったのだと個人的には考えている。
戻って穴を掘る話だが、穴を掘り続ける無限労働を表現するためにホールトーンを使ったのかと考えていたが、汗をたらしてスコップを動かし続けるうち、もしかしたら”ホール=掘る”を掛けた単なるダジャレだったのかもしれないなと思い始めた。先は長い。
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