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水がきれいに循環する社会を創る〝株式会社一二三工業所”代表取締役一二 健夫さん

いつも当然のようにあるけどなくてはならない「水」を地域から日本全国へとつながる「水」のパイプ役としての使命を担っている、株式会社一二三工業所 三代目代表 一二 健夫さんにお話を伺いました。

■一二健夫さんのプロフィール
出身地:大阪
活動地域:大阪市
現在の活動および職業:戦後の復興に携わった一二 通夫氏は、二度と戦争を起こさないよう、人々が安全で幸せに暮らせる社会をつくることを目指し27歳で配管工事業として弊社を創業される。その後確かな施工、心のこもった施工、温かいサービス・対応がなされ、60年の実績を強みにして伝統を継ぐべく、2013年に3代目代表取締役となる。
また、2018年からは世界ポイ捨て吸い殻アート協会 ~Bringアート~で新しい仕事も展開中。


Q:給排水・空調設備の設置、メンテナンスを行う一二三工業所の三代目として、これからどのようなビジョンを描いてらっししゃいますか?

一二健夫さん(以後、敬称略):今、世界にある発展途上国で9億人の人がきれいな水が飲めない、3億人がきれいなトイレを使えないという現状があります。1日に900人~1000人が、1分に1人の赤ちゃんがきれいな水がないことで亡くなっています。私は、水を扱う事業をしていますが、世界に同じ水が飲めないことで不幸になる人がいることを知ったとき、”自分の目の前や、周りの人のことだけを考えて働き続けていていいのだろうか?”と思い始めました。それから何かせずにはいられなくて、常に「水を健全に循環できる場をどうつくれるのか、その一端を担う中小企業としてどうしていくか」を考えています。

中でも、やりたいのは水源を守っている人、例えば川をきれいにしようとしている人、海をきれいにしようとしている人、その人たちとのパイプ役になれたらいいと思いますね。同じ水にも関わらず工業用水、農業用水、雨水、生活用水と分断されて考えられていますが、そうではなくひとつの水としてつないでいける役割を担いたい。それが設備会社の本質的な意義でもありますね。そして、町の中で個人も福祉も学校もその中で地域の困りごとにも手を出せる会社を創りたいです。そこから山の仕事、川の仕事、町の仕事、海の仕事が繋がり、行く行くは日本全体につながって行けたらいいです。(下記図参照)

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Q:会社以外でもごみ拾い活動として「ポイ捨てアート」など多くの活動もされてらっしゃいますが、この活動はどんなものになりますか?

一二:「ポイ捨てアート」は、水を循環させる「海」をきれいにするための海洋ごみを減らす取り組みなんです。あとは街のごみを減らすために活動しています。

きっかけは、社会に目を向けている人との大きな出会いがあり、ゴミ拾いをしているのを見て、自分もできることから始めようと思いました。継続するうちに、自分に自信がついて、地域で困っている人に何かできればと思って、独居老人の方に水道のメンテナンスを行い、その後の様子の確認や情報提供などをすることで、「見守り事業」との提携や、「子ども食堂」のサポートを通して、地域の方とのつながりを大切にしています。他には、障害者の方への職場体験なども実施しました。
中でも一番刺激を受けたことは、小さなことでもコツコツやり続ける姿勢です。やる気ない頭のいい大学生より、やる気ある障害者の方と、一緒に仕事をするほうがとても面白かったということです。やれることをやっていきたいという気持ちが芽生えてきたこと、後は何か誘っていただいたときは自分に必要なタイミングと思い、受け入れるようにしています。

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記者:なるほど。水を循環させるというキーワードは夢とも繋がりますし、すごく素敵な取り組みをされてますね。

Q:今現在、三代目として継がれていますが、もともとお祖父さんが水の事業で創業されたのはどんなきっかけがあるんですか?

一二:お祖父さんは当時、国の土木事業で鳥取事務所にいたんですが、広島の原爆ドームの建物のワンフロアに中四国事務所がありました。そこにお祖父さんの同僚も多く勤務していましたが、原爆の被害で90名近くいた従業員のうち、50名が亡くなったんです。それがきっかけで、平和への想いと、誰もが必要とする水の仕事を社会のためにやりたいと決意したそうです。実際、私自身も世界には水がなくて困っている人がいるけど、国内では水を無駄にしている現実に矛盾を感じて、水の仕事に携わったこともDNAの原点と繋がったんです。

記者:なるほど、創業者の平和への思いと、一二さんの世界の水問題の課題解決のビジョンが1本に繋がったんですね。実際に会社を事業継承される前に、実はこういうことがやりたかったとか、葛藤することはありませんでしたか?

一二:特に、やりたいことはなかったですね。小学校の頃の夢は、サッカー選手と父親の跡を継ぐことでした。30歳までは好きなことやって、そのあとは跡を継ぐよう言われてました。物心付いた頃には、先が決まっていたので、新しい選択肢がなかったですね。

でも、実際は自分の中で整理ができていなかったんです。就活中にやりたいことは特になかったですが、すぐに父親の会社に入るのはなんとなく違うと思ったので、同業種の大手の会社に就職しました。同業種なので戻ってくることも可能だし、大手の会社でサラリーマンの経験を積めるんじゃないかと思いました。でも就職して9年目に、父親の体調が悪化したのをきっかけに、父親の会社に戻ることにしましたね。

記者:事業継承は簡単ではないと思いますが、実際に先代のお父様から学んだことはどんなことがありますか?

一二:父親はシンプルな人で、創業者は偉い人。支社は“喜んでいただく”という先代の教えを経営理念として明文化して企業文化として伝え、常に喜んでもらうことを考えています。中でも創業者がよく言ってたのは「相手は変えれないから、自分がどう変わるか。」ということ。社員の奥さんの誕生日などを大切に手帳にメモしていたり、社員1人1人に思いがあった人でしたね。

記者:これからどんな美しい時代を作っていきたいですか?

一二きれいに水が流れる社会を作っていきたい。水は、命や平和を保つ最低限のベースだと思っています。それをつくっていきたいですね。水が循環して社会が成り立ち、それによって動物や自然、人間が調和することができます。地球全体がきれいになることは、テーマは大きいですが、先進国が直面する問題を解決することで発展途上国の援助につながっていると思っています。そんな時代を創りたいですね。

記者:“水は命や平和の最低限のベース”というお話が本当にそうだと思います。当たり前のような感覚で使っている水に感謝を感じました。これからのますますのご活躍を期待しています。今日はお時間いただき、ありがとうございました。

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一二健夫さんの詳細情報はこちら↓↓

◇株式会社一二三工業所ホームページ◇
http://hifumikogyosyo.co.jp/

◇Facebook◇
https://www.facebook.com/takeo.hifu
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【編集後記】
今回、インタビューを担当した泊です。水を通して社会貢献したいという熱い想いがとても伝わってきました。これからのますますのご発展を祈念しています。ありがとうございました。

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この記事はリライズ・ニュースマガジン”美しい時代を創る人達”にも掲載されています。