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世界を救う勇者ではないので、週末に「何もしない」をしてきた
気のおけない友人と、平成最後の一泊旅行に行ってきた。学生時代から付き合いのある親しい友人3人との計画で、僕の提案で「何もしないこと」を目的にすることにした。
宿泊先は熱海の古民家風ゲストハウスで、別館を1棟丸々借りた。いちいち外に出なくてもいいように、温泉もカラオケルーム(!)も色々揃った宿で、事前に飲食物を買い込み、とにかくそこに「何もしない」ことをしにいった。
縁側に座って、窓から見える桜を見たり、遊びに来たホトトギスの鳴き声を聞いたり、友人と喋ったり、昼寝をしたり、ビールを飲んだり、カラオケをしたり、ビーチに行ってみたり。
いや、実際には色々している。確かにしているけれど、でもこれは、何もしていないのだと思う。
何もしていないとは、ただ無でい続けることではなく、刺激を受けないよう真っ暗闇でふとんを被っていることでもなく(それも時にはいいが)、「目的のない時間を過ごす」なのことだと思う。
「俺ら何もしてないな〜」と言える状態こそが何もしていない状態であり、その時間こそが、精神的エネルギーを今回大いに回復させた。
勇者でさえ宿屋に泊まってこまめに回復しないと世界を救えないのに、「追い込めばパフォーマンスあがる」みたいな風潮が未だに強いのってどう考えても変なので、みなさんは積極的に休んだ方が良いです。
— 徳田@臨床心理士/cotree (@shinri_t) December 27, 2018
その際、身体パワー(HP)と心的パワー(MP)どちらも回復させることが大切です。
僕たちの毎日は、「その行動は何を解決(改善)するものなのか」という「目的」に大いに支配されている。
毎日働き、溜まった家事をして、子育てをして。
休日は仕事の疲れを癒すので精一杯。いつの間にか日が落ちている。そしてまた、月曜日が来る。
自分のことを世界を救う勇者だと思ったことは一度もないが、それでも毎日それなりの責任や役割を担っている。
責任や役割は「社会に役立っている」という感覚のために必要不可欠なものだけど、時々疲弊することもある。
疲弊をすることは悪いことではないと思うので、時々責任や役割を横にズラして解放される時間は大切だと思う。
また明日、責任や役割を担った自分を迎えるために。