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不登校という正当性について。
全不登校諸君!安心し給え!!
なんてことは言わない
お前等はお前等で俺は俺だから当てはまるわけねーじゃん
大体さ、有名な誰かの成功条件をつらつらと書き並べた自己啓発本を読んでさ
これ!やれば俺も私もこの人みたいになれるかも!!
なんてことを思ってる時点で知れてるのよ。
もちろん多少は学べることはあるし受け取り方次第ではおおいに活かせるかもしれないけど。
小学四年生僕は不登校になった
小学三年生から課されていた受験勉強
医者の父や母からの縛りが苦痛で仕方なかった。
洛南にいくか?東山に行くか?なんて話も懐かしい
俺が今行きてえのは公園であるし山田くんの家でもあるしゲーム屋さんであるしかねんだよ。
と思いながら毎日その縛りから逃げ自由を追い求めていた。
学校でも勉強、家に帰れば馬淵教室だの浜学園だのでの夜まで勉強。
先のことなんて何も考えずに逃げ出したかった俺は次第に塾までの間にある京都御所で住みついてるホームレスとそのホームレスたちが廃棄のパンで育て上げた野良猫と遊ぶようになっていた。
ホームレスのおっちゃんからもらうヤマザキのまるごとソーセージは賞味期限を2日もすぎていた。
塾に行けばバキバキのギラギラした小学生がウヨウヨいる。
そのウヨウヨいる中で遊ぶとなれば後ろの女の子のパンツを消しゴムを落としたフリして覗くか
机の上でボールペンを分解してインクまみれにするかたまーにクソ気になる授業への質問をして知識を得るかしかなかった。
それにたまにしか顔を出さない俺が来るともなればその日のテストの平均点はもちろん下がる。
そのクラスメイトからすれば親にする言い訳を作ってくれるMessiah(救世主)である。
平均点サゲMessiah
浜学園に行けばそんなクソみたいなものにしかなれない。
別に行きたい学校もない。勉強も楽しくはない。
周りも楽しいからしてるわけじゃ無く我慢してる?
俺の知ったことじゃない。そんな具合で塾費をバコバコ捨てていった。
しかしその塾費をすてて作った自由時間でさえも足りなかった。
当時丸太町に住んでいた自分は御所南小学校という富も平も詰め込んだみたいなマンモス校にいた。
その中でもダントツクソ問題児だった。
当時の教師にでも聞けばあぁ〜マ太郎君ねと絶対覚えている自信がある。
授業が始まれば教室を抜け出し向かう先は図書館。
ひたすらブラックジャックとはだしのげんを読み漁り、図鑑を読み漁り。
しかし周りの子は優しい人ばかりでそんな自分とも仲良くしてくれた子が大半であった。
次第に小学校に行くのも面倒くさくなりやがて週3登校くらいになる。
パートのおばちゃんである。
しかし家で駄々を捏ねて許される程甘い家ではない。
親を欺くために家を出ると2件ほど隣の家の隙間に隠れた。
そして親が出勤するのを見計らい家に戻り悠々自適な自由時間を確保する。
何をしてもいい最高な時間である。
試験管にゴキブリと塩水を入れ凍らせてみたり
一番最悪だったのはなんだか未来がない気がしてベランダで首を吊ろうと思った時である。
小学五年生にしては贅沢な希死念慮である。
そんなこんなで今の私があるのだが
とりあえず親から逃げたかった私は近畿大学附属中学への進学を決意する。
理由は寮が有り親から離れることができるという一点のみだった。
しかし大した勉強もしないまま試験当日になりA日程で普通に落ちた。
落ちたという経験をこの時初めてするわけだが流石にまずいと思ったのか、B日程迄の残り2週間ひたすら過去問を解きまくった。
すると、そんなに偏差値高いわけでもないがB日程で合格した。よくわからない勉強法である。
夏休みの宿題最後の日にするようなやり方で中学受験を終えた。
勿論不登校がいい悪いなんてのはその人によるが
不登校というのはなろうとしてなるものではない。
なるべくしてなった不登校といった方が正しい。
褒美をもらってまでする嫌なことなんてたかが知れてる。
やりたいことがあるからやりたくないことを一つの線上でやるんだよ。
続く