日記2024年3月⑥
3月19日
今日は外来診察の予約がパンパンに入っている、と幼稚園へ送る車の中で言ったら4歳児が「外来パンパン」という言葉を覚えた。
あっちむいてほいをじゃんけんと組み合わせるのはまだ難しく、あっちむいてほいを単独で遊ぶのだが、4歳児は指をさす側のプレーヤーのことを「鬼」と呼ぶ。
3月20日
妻の祖母の四十九日の法要に行った。妻の二人の兄の家も揃い、子供にとっては従兄弟が全員集合したかたちになった。上の従兄弟は4月から小3と小1、下の従姉妹は2歳で、うちの4歳児にとっては2歳の子が一番仲良くできたようだった。お坊さんがノリの軽い人で、お墓参りに来ていた人たちとガンガンおしゃべりしていた。うちの子は読経の最中は怖くて外で待っていたが、ひと通り終わって合流したらお坊さんがいまお焼香をしてもいいよと言ってくれ、私と子供が手を合わせているあいだ短くお経を唱えてくれた。精進落としの会食で、小3の従兄弟が献杯の音頭を取れと義母から無茶振りをされて、でもその子は「それではみなさん、けんぱい」ととても立派にやった。会食はすき焼きだったが、妻があまり食べられない体調だったので私が二人分食べた。以前妻の実家でも義母が気合を入れて用意したすき焼きを私ばかり大量に食べる展開になったことがあり、妻の親戚の集まりで私はすき焼き食べマシーンになる傾向がある。腹がパンパンになった。上の従兄弟2人がもう遊ばなくなったトミカをくれた。子供はとても喜んでいた。義母は責任がかかるほどあることないことしゃべりまくって失礼なことも言うが、義母の周りには義父の兄弟がいて大人の集まりになり、こちら側には子供中心の集まりが自然にできてうまくいっていた。私はすき焼きをお腹いっぱい食べただけだが、妻には感謝された。帰りの車で子供はずっと寝ていた。
滝口悠生は親戚の集まりをよく書く。こう思い出しながら書くとその光景に小説で読んだものが混じっているような気がする。今の私が記憶を通してあの場にいた私の視点に重なり、あのときの私の視点があの場の中をさまよったことを通していろんな人の視点と交わっていく。私の記憶と小説は、このように思い出して言葉にする形式が同一であることによって、思考の回路が混線する。記憶について書かれたものは誰かの記憶につながっていく。
3月21日
冷えた風が強く吹いている。春は風が強いと知った子供は毎日のように「きょうはかぜつよい?」と訊く。私の額には何年も赤い皮疹があって、何であるのかははっきりしないのだがステロイドで消えるのでまあ大丈夫と言われ、しかし同じ部位に出続ける。最近その近くに新しく同じような皮疹ができた。皮疹の子供である。もう2年くらいほったらかしているので一度見てもらったほうがいいかと思皮膚科に行った。待合室のテレビで実演されている混ぜごはんのレシピをおじさんたちがじっと見ていた。皮疹は脂漏性湿疹ではないかということだったが、治療が長引くならステロイドではないほうがいいだろうということで別の薬を塗ることになった。
実はここの先生は私が初期研修をした病院の皮膚科部長だった人で、私が皮膚科を回ったときに回診で「あの患者さん認知症で話せないからなかなか患部を見せてくれなくて、先生精神科志望でしょ、一回声かけてみてくれる?」と言ったことがあった。私はいやあ、そんなこと言われても、と困りつつ、表情がだいぶ乏しくなって目だけ鋭いおじいさんに「おしりのところ見せてもらってもいいですか」と普通に訊いただけなのだが、そうしたらおじいさんは黙ってお尻を見せてくれ、先生が「あーやっぱり精神科の先生だとお話できるんだなあ」と感心してくれたのだった。先生は私の顔も名前も覚えていないだろうと思うけれど、こういう一つ一つが自信になった。ちなみにこのとき私はおじいさんと目を合わせて挨拶をすること、ちょうどよく聞こえる音量で話すこと、肩に軽く触れること、簡潔にお願いすることを心掛け、最後にはありがとうございますねと挨拶を忘れないようにした。思えば私は初期研修医のときからそんなことばかり考えていたのかもしれない。麻酔科でも「手技は下手だけど術前説明は今までの研修医で一番うまい」と言ってもらえて、医者になってまだ2ヶ月目の何者でもないときにずいぶん自信になった。
昼ご飯のあと、休憩がてら子供の幼稚園の写真のウェブ注文をした。数千枚の中から子供の写っているものを選んでいく。子供の顔写真を登録しておくとAI顔検出機能が自動で子供の写っているものを抽出してくれるのだが、これが案外感度がよくて、お友達の後ろにちらっと写っているだけでも検出してくれるし、集合写真のようにたくさんの中に小さく写っているのも拾ってくれる。しかしそれでも漏れがあったり似た子を間違えて検出していたりするので一つずつ目視で確認していく。やっているうちに感覚が研ぎ澄まされてきて、このお友達が写っているなら近くにうちの子がいるはず、ということがわかってきて、よく見るとやっぱりいた、ということがしばしば発生する。1時間かけて200枚選んだ。10000円也。
今年度のサッカー教室が今日で最終日だった。年少さんだけで教わるのがこれで最後で、4月からは年中さんになって年長さんと合同になる。半年前は練習のあいまに集合整列するのでやっとで、ボールを使った練習はぐちゃぐちゃだったが、最近は先生の指示にも従い、サッカーらしい動きをするようになった。うちの子は先生に褒められたくて欲張ってボールに触っていた。みんなそれぞれ参加の仕方に個性があって、先生とお話しするのを楽しみにしている子もいれば、黙々と課題を遂行するのが楽しい子もいる。少人数で先生に甘えさせてもらっていたが、4月から全体に混じって教わることでまた学ぶことも増えるだろう。一緒に習っていた子のうちひとりが4月でお引越しをして転園してしまう。うちの子はその子と普段から仲良くしているようで、家に帰ってきて◯◯がうちに遊びにくることになったんだよ、などとよく言っていたのだが、お母さんと話してみたらその子もおうちで遊びに行ってもいいんだってと言っていたらしく、どうやら本当に子供同士で約束していたみたいで、本当に仲がいいんだなと思った。お引越ししても電車で行けるところなのでどこかで遊びましょうかということになり、(妻が)連絡先を交換した。この学年はみんな0歳でコロナ禍を迎えた子供たちで、みんなで集まったりお家を行き来したりする経験をせずにここまで来ている。人の家に行くことのハードルの高さも意味合いも変わってしまった世界で私たちは子育てを始めたけれど、みんな少しずつやりかたを見つけつつあるのだと思う。
柴崎友香『続きと始まり』はコロナ禍を3人の視点で描き、東日本大震災、阪神大震災、米国同時多発テロなどのさまざまな大きな災害や事件を結節点として記憶を辿りながら、自分を形作る出来事や関係のひとつひとつが想起され、再生し、意味を変え、ときには傷つき、しかしそれが今の私を形成していく。
私は子供の誕生とうつ病と大学院とコロナ禍が同時に来て、生まれてしばらくはコロナ禍でなくとも外に出ないし、仕事は短時間でコロナ対策の責任も外れているし、うつ病だし、という状況でずっと繭に包まれているように感じていたのだけれど、コロナ禍というのがある程度の長さを持ち、社会的な扱いが少し変わったことで少なくともコロナ禍の最初、つまりうちの子の新生児期は、そして私のうつ病の発症は、過去にしっかりと根を張りつつあるように思う。
子供とずいずいずっころばしをしてみたら思ったりよりも子供のリズム感がよく、「いきっこなーしーよ、いどのまわりで」の「、」の後に八分休符があるのがわかるでしょうか、この小節の頭に八分休符の入るリズムをきちんとノリこなしていたのに感心した。
明日は大学院の修了式である。緊張している。
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