日記2024年6月①

6月1日
晴れ。新しい冷蔵庫が来るので中のものを出し、捨てるものは捨てた。からっぽになってみても中は小さく、庫内の上の方は全然冷えていなかった。背も私たちより小さかった。三洋電機製である。2011年にパナソニックに吸収されて消滅している。新しい冷蔵庫を入れるために隣の食器棚兼調理家電置きを横にずらさなければならず、力仕事であった。冷凍庫にあった鶏の手羽元を使ってしまうために物で溢れてめちゃめちゃになっているキッチンで玉ねぎを切って鍋で一緒に煮た。
やっと準備が整ったところにピアノの先生から連絡があり、今日は10時30分の予定じゃなかったでしたっけ、と言われた。確認すると確かにカレンダーには10時30分と書いてある。普段は午後なのだが、そういえば前回の帰り際に、この日は先生のお子さんの学校関係の用事があるから午前にしてくれと言われたのをぼんやりと思い出し始めた。すっかり忘れてすっぽかしてしまった。たいへん落ち込んだ。子供も私も楽しみにしていたのに。小腹が空いて少し賞味期限の過ぎたちくわを開けて齧りついたら刺激臭がしてしっかりとカビがコロニーを作っていたので吐き出した。いいことがない。
落ち込んでいるうちに冷蔵庫が設置業者とともに来た。先日見積もりに来ためちゃくちゃ背の高いバンドマンと後輩の華奢な人の2人組だった。バンドマンが無言であっというまに古くて小さい冷蔵庫を搬出した。バイバイだぜ。新しい冷蔵庫は玄関と廊下をギリギリで通過した。バンドマンが進行方向に引っ張り、後輩が後ろから押した。コードがドアノブに引っかかりそうです、と後輩が指摘したりしていてちゃんとしているなと思った。
「そこのドア閉めてから方向転換したいからもうちょっと押して」
「はい、押しました、もう閉められます」
「じゃあここでいいや」
とやりとりしてテキパキと進めていて、安心して見ていられた。
ピッタリとキッチンの角に収まった。意外と圧迫感がない。中が広くて明るかった。妻が仕事から帰ってきて食料を冷蔵庫に戻し、朝から炊いていた鶏手羽元でお昼ご飯にしたら、疲れが出て少し寝た。
金川晋吾さんの個展へ出かけたら、電車が遅延して駅で足止めをくらった。今日は運が悪い。日が暮れ始めた頃に着いた。キリスト教信仰のある方のお家の写真から見始め、目が離せなくなるくらい素晴らしかった。恵比寿のMEMにて、金川晋吾「祈り/長崎」。プロテスタントの洗礼を受けている金川さんが10年ほど前から長崎に通って撮った写真。撮られた時期はそれぞれ違うが、壁に並ぶことで土地とそこでなさらる行為が「祈り」と「長崎」として像を結ぶ。金川さんの写真は対象をごくマテリアルなものとして写していて、ある種の関係の切断によって写真という関係を結び、そしてそこに必ず金川さんの身体があって自ら被写体としてマテリアルなものを晒す。金川さんの祈りと長崎の土地とともに写された祈りは異なり、その金川さんの身体と祈りを介しているからこそ長崎とそこでの祈りが写る。長崎の信仰は死者への祈りと否応なく結びつき、祈りは生活とともに街へ、土地へ潜っていく。「仏壇、信心用具」(2017)は女性の部屋の小さな祭壇が写され、キリスト像、マリア像などと神社の札や位牌、写真が並び、横の本棚には信仰に関わる書籍がささやかに写る。しかしなぜか目を引くのが左下に写り込むテレビモニターの「AQUOS」というロゴで、そのただそこにある即物性が写真というインターフェースによって切断されることによってむしろこちらに届いて関係を取り結ぶ。写り込む「AQUOS」のロゴによってそこに金川さんとも私とも違う誰かの信仰があることが、私と関係のあることになる。会場一番広い壁の並びが私は好きで、「小峰のルルド」(2015)、「万国霊廟長崎観音、福済寺」(2016)、「聖像、本原教会」(2021)、「セルフポートレート」(2021)、「平和祈念像」(2021)、「イエス・キリストと浦上」(2015)が並んでいた。セルフポートレートを除いていずれも像を写したものであるけれど、写るのはやはり物としての像であり、むしろビビッドに見えるのが長崎の街、高低差のある斜面に並ぶ街並みである。そして真ん中にあるセルフポートレート。長崎という土地、長崎の祈りと交わらない身体を晒し、しかし写真を介した切断によって関係を結ぶことができる。写真という装置の働きそのものが現れつつ、金川さんの個人性、身体性を写している。本当に好きでした。
恵比寿駅で蕎麦を食べて帰った。大葉の天ぷらの葉の部分が砕け散り、衣を食べた。私が出ている間妻が子供といてくれて、「おとうさんがいないからおかあさんがなんでもやってね」とか「おとうさんは◯◯ちゃんよりなんでもしってるの?」と言っていたらしい。帰ったらまだ起きていて、一緒に風呂に入って寝た。

6月2日
朝は晴れ。朝少しうつ病本を書く。蝸牛の歩み。ぬめぬめと。最近は毎晩限界を迎えた冷蔵庫が綿あめ屋台の発電機みたいな音で喘いでいたが、昨夜は最新の冷蔵庫が来てすこぶる静かであった。黒くてモノリスのようである。
昨日見た金川晋吾さんの写真がとてもよくて、今日も子供に優しくできる。駄菓子屋で260円のお菓子を手に取り高いなと思ったが本人に任せた。今は子供用のポーチをお財布にしてたまに補充しながら駄菓子屋では自分で買ってもらっている。
両親と姉と食事をした。私の祖父母から行っているお店だから四代に渡って通っている。おいしいのはもちろんだが、やはり祖父母の好きだったお店だから母は思い入れがあるように見える。母は子供と孫を「美味しいものがわかる人」にしたいという気持ちが強く、私と姉は小さい頃から食べるのが好きだったから美味しいとされるものをひたすら与えられることに疑問を持たなかったけれど、私の子供はもともと食が細く、食事はあまり気が進まないようで、私たち親も食べなきゃいけないと教えることと食事を嫌なものとせず楽しいものだと思ってもらえるような塩梅に文字通り毎日気を揉んでいるから、母が子供にあれを食べろ、美味しいだろうと一口ごとに迫るのを見てつらくなった。美味しい食事であったし、子供もいつも以上によく食べたのだが、それはやはり母の圧に気を遣った部分が大いにある。母はそれでまた得意になる。困ったものである。母は食べるものだけでなく色々な点で自分の美的センスを強要するところがあり、それは無意識で間接的なのであるが、それは子供の人生を長きに渡って支配する。その子供というのは私と姉のことだし、長きに渡るというのは私の36年の半生のことである。美という価値は規範とともに深くその人の生を規定するが、同時に規範から逸脱する自己の運動に光を当てる。恍惚は祝福であり苦痛でもある。しかしだからこそ、押し付けられた美もまた必要である。そこが難しい。子を呑み込む母をただ抹殺すればいいわけではない。というよりそれは不可能で、何度でも姿を変えてやってくる。何度「殲滅」しても襲来する使徒のように。私たち夫婦はひとまず、子供にとってわかりやすく障害物になることを選ぶ。あなたにとってこれがいいよね、あなたもそう思うよね、と子供の中身に入らないで、こうするものなんだからこうしなさい、と立ちはだかる壁になる。いい塩梅の壁になる。そうでありたいと思うが、そうであることが難しいのは、身をもって知っている。出てきたお料理はどれも美味しかったが、高野豆腐とおからのあられ揚げが特に美味しかった。
食事の後、七五三の写真のための着物の寸法を計りに行った。私の七五三のときの着物を子供の寸法に直してもらう。言われたとおり袖を通して奴凧のように両手を広げて裄丈を測られていてお利口さんであった。ここで裄丈(ゆきたけ)という単語が出てくるのが母の教育の賜物である。母が私に着物の寸法を表す言葉を教え込んだのではなく、着物の寸法の表し方を知っていた方が美的に優れていると暗に教え、私が自ら調べたのである。このように母は日記という私的な記録にも入り込む。
母は私が離席したすきに妻へ小学校受験を暗に勧めていたらしい。母はそういうことをする。私は子供が自分の人生を好きになれるようであってほしい。小学校受験はうちの子に関してはあまりいい作用をもたらさないのではないかなと今は考えている。
しかしとにかく今日の子供はたいへんいい子であった。世界の圧力をがっぷり受けきった。帰りの電車で寝て駅から抱っこで家まで帰った。
姉が全然登場していないが、仕事のことを少し話した。子供は姉が友人とキャンプに行った写真を一緒に見ていた。
最新の冷蔵庫の冷え具合に慣れていないので麦茶が刺激的すぎる。
屋内にいたので大雨には降られなかった。

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