日記2024年10月⑥
10月26日
子供は37.1℃に解熱していた。運動会に行くことにした。事前の話し合いの通り開会式は出ないことにして10時頃に着くように家を出た。念の為の人手として母を連れて行った。なんといっても妻にいつ陣痛が来てもおかしくないのである。子供はやっと熱が下がったばかりで痩せてしまった。一週間幼稚園に行けず練習ができなかったので自信がなさそうだった。
着いたら最初のかけっこは終わっていた。背の順だからうちの子は最初の組だった。しばらく一緒に年長さんのかけっこなどを見た。みんなたくさん転んでいた。転んで泣いている子もいた。
知り合いの保護者がたくさん話しかけてくれた。
年中さんのバルーン体操という出し物があり、円形の大きな布の端を子供達が掴んで音楽に合わせてみんなでバフバフしたり膨らませたりする。素敵だった。うちの子は私と一緒にそれを見た。練習ができなかったのと病み上がりで自信がなかったみたいで、これは見てるだけにすると自分で言った。参加できていたらきっと感激しただろうと思ったが、子供と並んで座って見られたこの時間もまた大事だと思った。そのあとクラスに合流して担任の先生に子供を預けた。
お遊戯は「お祭りドッキュン!」で、幼稚園の先生が手作りしてくれた衣装を着て踊る。うちの子はある子の手を引いて一緒にポジションまで行く役目を与えられていたみたいで、張り切ってやっていた。最後の方は練習に出られなかったけれど振りをよく覚えていて、楽しそうに踊っていた。一生懸命で偉かった。がんばって参加させてよかった。
最後は年長さん全員のクラス対抗リレー。みんな一生懸命走っていて感動した。子供は来年これをやるので、見られてよかった。子供の行事というのは全部常に一回きりの大事なもので、しかし大人の時間感覚の中では全部あっというまに過ぎ去ってしまう。今の時間は今にしかなくて今はすぐに過去になってしまって大事にするには遅すぎる。こういう行事ではそういうことを思い出す。
閉会式はクラスごとに並んで座って先生の挨拶を聞く。お手伝いの中に教育実習の学生がいて、その中の一人が昔この幼稚園に通っていた人だそうである。幼稚園の先生というのはとても素敵な仕事だと思う。常にその子の一番大事な瞬間をともにする。この幼稚園は子供たちをあまり管理しないので、それぞれの子に常に個別に訪れている大事な瞬間を毎日新たに見てくれているような気がする。いい先生に恵まれている。うちの子は閉会式のあいだきっちり膝をそろえて体育座りをしていた。
友達と写真撮って帰った。担任の先生から「あとは無事産んでください」と言われた。行事のたびに先生から家でたくさん褒めてあげてくださいと言われるのだが、どの家も合流した直後から子供を褒めていた。クラスのどの子もちゃんと褒められることを知っているように見える。誰も茶化したり悪目立ちしようとする子がいない。幼稚園の頃はそういうものなのか、先生たちがいい環境を作ってくれているのか。どっちもかもしれない。
ご褒美も兼ねて西松屋に行った。スーパーマリオの映画のDVDを欲しがったので買った。ファミレスに寄って食べて帰った。子供はポテト少しとコーンスープを食べた。帰って熱を測っても上がっておらず、このまま元気になってくれそうだった。疲れているはずなのにマリオの映画を見てマリオパーティをやっていていつまでも変なテンションで遊んでいるので、一旦やめさせてとりあえず静かに横になりなさいと言ったらしぶしぶ寝転がって、手持ち無沙汰で私の腕を胸に抱えていじっていたと思ったらすぐ寝てしまった。体力が落ちているところにいきなり運動会に出たわけだから当然である。
子供が仲良くしている友達のお父さんと私も仲良くしたいのだが、そのお父さんも私も子供は自分のうちの子もひとのうちの子もかわいくていくらでも一緒にいられるけれど同世代の同性が苦手そうな雰囲気があり、そこが仲良くしたいポイントなのだがそれゆえに仲良くなれない。卒園までになんとかなるだろうか。
10月27日
昨日の疲れが出て午前も午後も寝てしまった。起きていたのは子供だけである。子供は咳が残るけれど熱は下がった。マリオの映画を見たりスマホでYouTubeを見たりしていた。マリオは「It's a me!」と余計な「a」を入れることがあり、妻がなんでだろうねと言うので、マリオはイタリア系移民だからなんじゃないのと返したらなんでそんなこと知ってんのと言われた。たしかになんで知ってんのだろう。映画「グリーンブック」は実話をもとにしていて、黒人ジャズピアニストドン・シャーリーに運転手兼用心棒として雇われるトニー・リップはイタリア系移民の子である。だからトニーは白人というマジョリティでありながらその内部でマイノリティでもあった。日本人である私はその差別の交差性を見たりもして、トニーがシャーリーとの友情を深めていくのにもその影響があるように見た。ただやはり黒人と白人という「強い」枠組みにおいてはこの映画は白人が黒人の味方となって助ける「白人酋長もの」ということになってしまって批判を集めるのも理解できるところではある。でも、トニーが白人でありイタリア系移民であり低学歴であることや、シャーリーが黒人であり同性愛者であり高学歴エリートであることなど、差別や社会的属性の重複性と交差性を描こうとしていた意図はあったように見えた。とはいえやはり映画の脚本家の一人がトニーの実子だったからか、トニーの造形には手心が入っているというか、理想化や単純化がなされているとは言えると思う。まあ色々と難しい。
お昼に子供がマックのハッピーセットが欲しいと言うから頼んだ。マックはゆるくボイコットしていなくもないのだがゆるいので子供が食べたいなら頼む。デリバリーしてもらったらハッピーセットのおもちゃが入っていなくて、それでは意味がないので電話してあらためて持ってきてもらった。トムとジェリーのおもちゃ。
マリオの映画でいうと、ジャック・ブラック演じるクッパがピーチ姫へのラブを歌にするシーンがあり、ピーチの名前を連呼するのだが、そこで「Peaches, Peaches, Peaches」と「es」をつけて複数形みたいにしている。なんでだろうと思うのだが、ひとつには「ch」と「p」の破裂音(?)が連続すると接続が悪いのかなと思っているがどうだろうか。
あと妻がなんでドンキーコングがこんなに大きく使われてるのと言うので、マリオの一番最初のゲームはドンキーコングと戦う内容だったからリスペクトしているのではないかと答えた。なんでそんなこと知ってんのと言われた。妻は割となんでも驚いてくれる。
夜は長谷川あかりさんのレシピで鳥もも肉とズッキーニの炊き込みご飯にした。かなりおいしいのだが、子供にとっては初めてのご飯だったので全然食べようとしてくれなくて、でもなるべくちゃんと食べてもらうようにしたいので頑張って説明して食べさせた。ご飯を食べる理由を説明したら子供が泣きながら「わかったからもう話さないで」と言った。鶏肉を長いこと噛んで飲み込まないでいたり、一口を小さくしたりしていたので、早くごっくんしちゃいなさいとかもっと大きく口に入れなさいなどと伝えた。もうお通夜みたいな空気でしんどいのだが、とりあえずお皿によそったぶんは食べてもらった。とはいえ大人なら一口でも食べられるくらいの量である。食後ババ抜きをしたら機嫌がなおった。
一日何もできなかったからか、なんだか悶々としてしまって何もできていないことにへこんでしまった。何かしようにももう夜だし何もしたくないしという感じであーあという感じであった。本も読む気しないなあと思いながら本棚を見たら幸田文の『雀の手帖』があって、これなら一本一本が短いから読めると思って手に取った。本棚というのはこういうときに救いである。
幸田文の書くものが昔から好きである。きっぱりとした東京風の情緒が自分自身にも向けられ、風雪に耐える木や花、使い込む着物や日用品のように自分を見る。特に女性として。今回読んだ中で好きな箇所。「やみ売りで懐のふくらんだ両親が子供を学校へやりたいのに、子はいやなので、小さい心をいためて、二人して辞退案を相談中という。その足のさきに一トかたまり、はこべが這っていて、眼のなかに入りそうなこまかい白い花をつけていて、清純だった」(51ページ、新潮文庫)。私は小説では保坂和志の影響なのか饒舌で繁茂していくような文章が好きな部分もあるのだけれど、体に自然に馴染むのは幸田文のような清冽な情緒のような気がする。短いエッセイを読んで今日が救われた感じがした。
10月28日
今日は運動会の代休で幼稚園が休みである。
昨日は衆院選の投開票日であった。私はあまり直接的に自分の政治的なアクションについて書いたりしないかもしれないけれど政治的でないとは思っていなくて、こうやって日記を書くことも政治的なことだと思っている。
朝妻を産院に送った。卵膜剥離の処置を受けたので陣痛が来そうだと言った。卵膜剥離も痛いらしい。産前最後かもしれないので妻の食べたいものを食べるためにロイヤルホストに行った。妻はミックスフライ、私はステーキサラダにした。子供は最初は何も食べないと言っていたけれど、あとでラーメンを食べると言ってくれたのでほっとした。少しずつ食べる量も回復しつつある。食後に妻はデカいチョコのパフェ、私は栗とほうじ茶のパフェを食べた。子供の残したお子様ラーメンを食べたらすっきりした醤油味でおいしかった。出汁の旨みが控えめで上品な味だった。ファミレスでこれが食べられるのはありがたい。ロイホに来ると接客の大事さがよくわかる。そのためにきちんとお金を払っている。私が子供の頃のファミレスはこういうお店とお客のあいだの関係を味わえるある意味でファンタジーのある場所だったのだが、最近はどんどんファストフード化してマックよりもファンタジーがなくあけすけになっている。まあしかたないのかもしれないが、どこかにファミレス文化が残ってほしい。というか文化というものに目を配る場があってほしい。
帰って少し休んだら、妻のお腹の張りが頻回になってきた。子供が心配して見にくる。赤ちゃんが産まれるときはお腹が痛くなるんだよ、赤ちゃんが出てこようとしてるから大丈夫だよと伝える。また3人で産院に向かい、妻を下ろして私は子供と家に帰った。私は風呂と歯磨きを済ませ、私の母が到着するのを待った。子供がオセロをやろうと言うのでやった。私はオセロがめちゃめちゃ弱いのだが、それでさらに手加減をしたら子供に負けた。論理的に予測をするのが下手である。
母が到着して私だけ産院に向かった。おにぎりを一個食べておいた。着いたら陣痛が3分間隔で来ていて、妻はもう分娩室にいた。
陣痛が1分間隔になったり子宮口が全開になったり破水したりするまでは、お腹に胎児用のモニター機器などをつけた状態で一人にされる。助産師さんはドライに突き放してくる。そういう文化なのだと思う。
子宮口が開いて胎児に圧をかけられるようになるまでは、陣痛が来てもいきんではならず、力を逃す必要がある。目をつぶらず、息を口から吐いて力を抜くように言われる。でも陣痛は痛い。たぶん多くの人にとって人生で感じたことのある痛みの中で一番強い痛みで、それが2-3分ごとにやってくる。それが怖い。妻は私の腕や手を握りつぶすように掴んで凌いでいた。この時点では痛いと言って助産師さんを呼んでも「痛くないと生まれないから」と言われて、「順調ですよ」とか言われてまた行ってしまう。陣痛が来るたびに叫ぶ。
夫は何もできない。最初は、何かしようと思う。少しでも楽にさせたくて、気を紛らわせようとしたりする。でも何の意味もない。本当に何の意味もない。それは余計なことである。痛みに耐えるしかない人にとって、痛みから気を逸らすことは無意味であって、それを他者から求められるのは痛みを否定されるのと同じである。夫は、なるべく早く何もできないことに気づく必要がある。なすすべがないことに直面する必要がある。完全に無力。このこのに向き合えず、「私が何かをしてあげよう」と思っていると、それは最初から最後まで逃避で終わってしまう。そのあいだに目の前の妻は痛み、しがみついて、叫んでいる。何度もそれをくり返している。
ただ痛みに耐えるしかない状況から、妻は逃避することができない。文字通りの意味で耐えるしかない。上手な耐え方はあるにしても、耐える以外には選択肢がない。そういう家族を前にして、夫は何もできない、何をしても妻の苦痛をとることができない、そういう状況に、夫も、耐えるしかない。無力であることに耐えるしかない。夫は無力に耐えることから逃避する選択肢がある。何かしているふうに見せるために、励ましたり、体をさすったり、気を紛らわせたり、場合によっては冗談を言ったり、スマホを見たり、後半の2つはかなり最悪であるが、前半のも逃避である限り最悪である。夫は選択肢があるぶん、耐えるということを積極的に選ばないといけない。ただ耐える。何もできないことに耐える。その場では。目の前では妻が周期的な強い痛みに苦しみ、怯えている。
その場では夫の行為は限りなく意味がない。でもそこにいることは意味がある。行為ではなく存在に意味がある。無力であることに耐え、痛みに耐える人のそばにいる。全ての行為を封じられて、耐えるという受動の極地にある人に、こうしてようやく接点を持つことができる。逃避的な行為を封じてようやく苦しむ人と一緒に耐えることができる。ようやく一緒にいられる。無力を受け入れたときにやっとそこに存在することができる。何かやってあげようとしているうちはそこにいないのと同じなのだ。無力に耐える。夫はそこに他の選択肢(逃避)を持つから妻が痛みに耐えることと等価ではないけれど、ただ耐える、全く受動的である、ただそこにいるしかない、そのことによってようやく一緒にそこに存在することができる。妻は痛みに声をあげ、間欠期には痛みに怯える。意味のある言葉はかけられない。意味を持つ言葉を発しても、届くのはその意味ではなく私の存在である。無力を知った言葉でないと妻には届かない。その上でようやく、「確実に分娩が進んでるとは思うよ」とか「今日中には確実に行けるんじゃないかな」とかの慰めに意味が生じる。逃げるためでなく耐えるための言葉になる。
夫が出産に立ち会うというのはこういうことである。もちろん助産師さんは専門的な介入をする。だからこそ一緒に耐えることができない。夫はそのために立ち会う。
何回目かの診察のときに私は分娩室から出されて、しばらく入れなかった。妻がいたいいたいと大きな声を出しているのが聞こえてくる。しばらく待ってまた入るように言われたら、分娩が一気に進行して頭が産道を通過するところだった。経産婦は早い。この段階になると助産師さんが2人ついて、いきむ姿勢、タイミング、力を逃すタイミング、方法などを細かく指示されながら、妻はずっと痛くてすごい騒ぎになる。身の置き所がなくてわけがわからなくなっている。さっきまでと全然様子が違って、クライマックスというか祝祭的な空気である。その中で助産師さんと産科医は着実に仕事をする。夫は何もできない。本当に何もできない。一度外に出ていたから耐える覚悟が弱まっていて、自分も何かして貢献したくなるが、本当に何もできない。そばにいても楽にしてあげることができない。ただ待つしかない。いたいいたいと妻が声を上げ、助産師さんがいきむのか力を抜くのか指示を出し、「すごいうまいすごい上手、完璧」と言いながら、お医者さんが切開のタイミングなどを判断する。「頭が出ましたよ」と言われたあと、「あれ、でかいな、体がでかい、よっ、よっ、でかいな」と助産師さんが肩を出すのに苦労していた。
娩出。ずるっと出て、赤ん坊が泣く。妻は溜まっていた声が全部出たような声を出す。私はようやく「よかった、よかった」と声を出すことができて、ようやく妻の体に触れることができた。ただ喜ぶ。何もしようとせずただ一緒に喜ぶのが自分がここにいる意味だと思う。妻は悲しいのかと思うくらいの嬉しそうな声を出す。夫はそういう声を出せない。
直後の写真だけ撮ってしばらくロビーで待つ。医師の診察があり、切開創があるから縫合などがある。ずっと赤ちゃんの泣き声が聞こえていて、すごく元気だった。先生の処置はすごく丁寧で時間がかかった。しばらくしてまた入室を許可されて、分娩台に妻と子供が寝ていた。きれいに拭いてもらって、口をモゴモゴして手をグーパーしていた。抱っこしたら寝た。温かくてかわいかった。私より妻に似ているように思った。赤ちゃんが自分の腕の中で寝るのは本当に幸せなことである。このために生きているのだと思う。
妻は「本当に痛かった、二度とやりたくないけど、おそろしいことにすぐ痛みを忘れちゃうんだよね」と言った。
しばらく抱っこして、また寝かせて、写真を何枚か撮った。3738gの大きな子供だった。母にメールと写真を送った。上の子は「かわいい赤ちゃん」と言っていたらしい。
子供が新生児室に連れて行かれ、そのときに起きて泣いていた。かわいいなと思った。コロナ禍以降夫が泊まることはできないので、そのまま帰った。帰りにファミレスに寄り、すこし贅沢に食べて、帰ったら上の子はもう寝ていた。母にお礼を言って、寝た。
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