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あきらめることで人は自分を変えることが出来る。


今は力が抜けている。
良い具合に。


大学生のときの自分を知る人は、「あのとき尖っていたよねぇ」と口々に言う。

たしかにそうだろう。

当時の自分は、幕末の志士のような気持ちで生きていた。

なにかを成し遂げたいという強烈なまでの思い。

無為に死んでしまうことへの恐れを抱いていた。


今は、そこまで焦る気持ちはない。
たまにかつての気持ちは甦ってくるけれど、そこまででもない。

あのときの自分は、完璧主義で自尊心が高く、人を見下すような人間だった。

自分はすごいんだぞと証明したい気持ちでいっぱいだった。

自信なんて一切無く、でも夢だけは持っているような状態。

「うちの子、すごく完璧主義なんです」
「なんだか不可能な目標ばかり口にするんですよ」


保護者から相談を受けるたび、「分かるなぁ」と思う。

やっぱり、僕は不登校の民(たみ)だから、不登校の子たちと感じることは似ている。

僕は人生は、山登りだと思っていた。

苦しいときを超えると、いつかは山頂にたどり着く。

そこまでは、長く険しい道。

苦しんで、苦しんで、耐えて、耐えて、進んでいく。

いつかきっと、ラクになれる。

けれど、どれだけ踏ん張って足を進めてみても、坂道は続いていた。

視界が開けることなく、切り傷は増えていく。

苦しくてうまく呼吸も出来ない。

心が折れそうになるたび、「ここを抜けると道が開ける」と信じて、自分を鼓舞してきた。

足を進め続けても、視界が開けることはなかった。

「やりたいことが見つかったら……」
「NPO法人を立ち上げたら……」
「稼げるようになったら……」


なにか達成しても、頂に届くことはなかった。

満足感も達成感もほとんどない。

進めば進むほど、虚無感だけが募っていく。

完璧主義の弊害。

「もっと、もっと、もっと」と思う。

もっとガンバろう。
もっと結果を出すぞ。

終わりのないマラソンのような日々。


「あぁ……、もう無理だ……」

30歳を超えたとき、限界を感じた。

これ以上、ガムシャラに山を登ることは出来ないと思った。


そんなとき、「あなたは自分を赦しなさい」と師匠に言われて、僕は心がラクになり、解き放たれた。

完璧主義。極端な考え方をしている。このような子を見ていると、親御さんは「なんとかしたい」と思うだろう。


実際、僕はどうしたらいいのかヒントになることをnoteでも書いている。

でも、もう一方でこうも思う。

「子ども自身が限界までいかないと分からない」と。

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