「住民参加型保全」をめぐるモヤモヤ
前回の記事では、大型類人猿を絶滅の危機においやってきたのは主として先進諸国の人々のニーズを満たすための開発であったのに、その保全のために地域住民による生息地利用を制限することに対する違和感を述べました。
実は、大型類人猿の保全に関わる人々の間では、そうした問題意識は共有されています。そこで、大型類人猿が生息する地域に暮らす人々を地域の生態系から切り離すのではなく、むしろ彼らによる積極的に生態系全へのコミットメントを深めてもらう形で保全活動を進めることが推奨されています。それは「住民参加型保全(community based conservation)」と呼ばれています。
国連の大型類人猿保全計画(GRASP)やIUCNなどの環境保護団体、また国際霊長類学会(IPS)なども、大型類人猿保護(やほかの霊長類)の保全における住民参加型保全の重要性を強く訴えています。重要、というより、不可欠、と考えています。
もっとも、住民参加型保全は、大型類人猿保護に限りません。アフリカの自然保護にも限りません。日本でも、過疎地域における獣害対策と生態系保全に関して住民参加型保全の取り組みが各地ですすめられています。
じっさい、住民の参加・協力がなければ大型類人猿の保全などとうていできません。ですから、私も基本的には住民参加型保全に賛成です。賛成するだけでなく、推進するために動いています。
けれども、保全の現場に身を置いていると、「これでいいのだろうか」と思うことがしばしばです。なんだか、「住民参加型保全」というキーワードだけが一人歩きしているようにも感じます。
住民参加型保全の推進において最も重要なのは、それが地域住民による主体的な参与に基づくものであることです。外部の保全活動家が半ば強制的に住民参加を押しつけるようなことがあってはなりません。
だから、住民参加型保全の最初のステップは、合意形成です。地域住民に集まってもらって会議を開き、大型類人猿をめぐる状況や、彼らの参加がなければ保全がなりたたないことを説明します。そして、主体的な参加を促します。
ひとたび住民参加についての合意が得られると、その参加が従属的なものにならないよう、さまざまな組織化が図られます。よくあるのが、保全と生態系管理を行う住民グループの立ち上げです。保護団体に雇われたり、政府機関の指示で活動するのではなく、住民が独立したステイクホルダーとして関わる。保全のためのさまざまな活動を話し合う場に住民代表が参加し、自由な立場で意見を述べる。そうして、大型類人猿の保護のために住民生活が犠牲にならないよう、主張すべきは主張し、自らの参加によって保護と生活の両立をはかる。
このように書くといいことづくめに見えますが、問題はその内実です。大型類人猿保全の重点地域で住民参加型保全をやっていますと標榜するところのうち、ほんとうに住民が主体的に参加しているサイトは、数えるほどしかないのではないかと思います。
そもそも、住民参加型保全という発想自体が、住民の創発的意思によるものではなく、「上」からトップダウン式に持ち込まれていることが、私にはどうしても気になります。そして、形式的には主体的参加をしているように見えるけれども、その参加のしかたはやはり「上」の指導や助言をなぞっているだけのように見えることもある。さらに、主体的参加というけれど、それ以外の選択肢を選ぶ自由は実質的にはない。もちろん、保全に反対し活動に背を向けることはできるけれど、そういう人々の居場所や生計手段は用意されないので、嫌なら地域を出て行くしかない、みたいな面がある。
「住民参加型」は大型類人猿の保護には不可欠で、それ以外の道はない。だから、いろいろ問題があったとしても、実践を通じて改善してゆくべきで、あからさまに反旗を掲げるべきではない。そう思うのですが、ときどき、いや、もしかすると根本的に間違っているのではないか、という考えが頭をよぎります。モヤモヤはつきません。
ほんとうだったら、各地で行われている住民参加型保全の成功例や、私自身の活動などを紹介するべきなのですけどね。
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