地域住民の「主体的な参加」とは(1)
前回は、住民参加型保全のありかたを考えるてがかりのひとつとして、私自身が関わった、ガボンのムカラバにおける大型類人猿の野外研究プロジェクトの黎明期のエピソードをとりあげました。今回はその続きですので、未読の方は前回記事からお読みください。
主客の逆転
はじめ、Yさんは彼らのフランス語をわかっていないのではないかとさえ思った私ですが、そうではないとわかると(失礼にもご本人に確認したような記憶があります)、今度は逆に驚嘆しました。たった一言の発言で、議論の構造をすっかりあべこべにしてしまったからです。
「Y発言」の前は、村人たちが私たちに意思決定を迫っていました。「橋を直すならいてよい。直さないなら出て行け」と。「Y発言」はその正反対です。「我々を受け入れるなら研究する。受け入れないなら帰る」です。
私が最初これをすごいと思ったのは、これで交渉の力関係を逆転させたからでした。こちらが無理難題を突きつけられている状態が、一転して村人が決断を迫られる形に変えてしまった。そして、うろたえた村人たちが、最終的に損得勘定をして私たちを受け入れたのだと考えました。さすがの交渉術だと思いました。
ですが、これはまったくの見当外れな評価でした。
結果的に交渉が「円満」に終わったので、その後はみんなで宴会になりました。すぐにみんな酔っ払い、宴会がうやむやになってきた頃、「ちょっと二人で飲もうや」とYさんに誘われ、私たちは騒がしい会場を離れ、問題の流された橋のたもとへゆきました。
差し向かいで座り、ちびちびとヤシ酒を飲んでいると、あたりは薄暗くなってきます。私はひとつの疑問を口にしました。「あそこで、もし彼らが一緒にやらないと言ったらどうするつもりだったんですか?」
Yさんは間髪入れず答えました。「そりゃ、やめるしかないじゃないか。村人と一緒じゃなきゃやれるわけないんだから」私はそれを聞いて心底びっくりしました。
私は、Yさんの発言を聞いたとき、これは一種の賭けだと思ったのです。村人が受け入れてくれたら万々歳。でも、帰れと言われたら手詰まりになる。私はそんな賭けをする勇気がなかったので、すごいと思いました。でも、そうではなかった。Yさんは何も賭けていなかった。帰れと言われたら、「しょうがない、ここでは研究できないな」と諦めて帰るつもりだったのです。
どちらが主で、どちらが客か
つまり、「Y発言」は交渉の主導権をこちらに奪い取るものではなく、意思決定のすべてを村人に委ねるものだったのです。決める権利があるのはあなたたちです、と。
逆にいうと、それまで村人が私たちに「橋を直すか、直さないなら出て行け」と言っていたのは、住民としての権利を主張し外部の人間に条件をつきつけている、と捉えれば主体的ですが、決めるのは部外者である私たちだ、としている時点で依存的です。
その意味で、賭をしていたのは村人の方だったのかもしれません。私たちが橋を直せなかったからよかったようなものの、もしも私たちがどっからかお金をみつけてきて橋を直してしまったら、彼らにはもう選択権はなくなってしまっていました。
住民のどんな意思でも尊重すること
研究と保全活動には重なる点も多く、共通点も多いですが、違いもあります。だから、研究者が住民との協働を進めるプロセスを、保全活動家が住民参加型の協働関係を構築するプロセスにそのまま当てはめることはできません。
ですが、「Y発言」から学べることは研究でも保全でもかわりはないと思います。それは、住民の主体的な参加が必要ならば、ほんとうに住民の主体的な意思決定を尊重しなくてはならない。もし研究に協力したくないといわれたら帰らなくてはならない。ではもし住民が保全したくないといわれたら、そこでの保全活動はあきらめて帰るしかない。それが筋だと思います。どうしても保全活動が必要なら、住民参加型でない形で進めるしかない。
しかし、いま大型類人猿の住民参加型保全を進めようとしている人びとの多くは、そうではなく、「住民参加型保全をやる」=「住民に保全に参加する以外の選択肢を認めない」です。そのために、あの手この手を使って住民を丸め込んだり従わせたりする。それを私は「トップダウン型住民参加型保全」と呼ぶことにしています。
まだ続きます。