個人事業主として開業するためにやったこと13(開業することの妻への説明)
※3/21追記しました!
開業するまでにやった事の中で、ある意味いちばんエネルギーを使ったともいえる、家族、とりわけ妻への説明について書いてみたいと思います。
家族の関係性は十人十色だと思います。なので一概に自分の経験が全員にあてはまるとは思っていません。あくまでも自分はこうだった、という体験談として読んでいただければと思います。
1.会社を卒業して1か月は何もしなかった
前職を卒業してから1か月(実際には最終出社日から1か月後が退職日になっていたので前職にはまだ在籍していたのかなw)は、あまり深く考えず、仕事のしばりがない時間を謳歌しました。
社会人になってから、会社組織に所属しないという初めての経験です。
とにかく今は、自分が朝起きて今日はなにしよう、そして思うがままに行動しよう、という時間を楽しみました。
(実際には子供たちがダブルで受験だったのでそのサポートに結構時間を割きましたけどね。)
それでも、ぼんやりと新しくどこかに就職するよりはここで独立して進む道を模索したいなぁ、くらいには考えていました。
もちろん妻には、次のことは考えるとは伝えていました。
2.次に向けてプランを立て、独立を決意した
正式に前職を退社し、年が明けた2018年。
正直、私の中で自由な時間を謳歌することがお腹いっぱいになりました(笑)せいぜい1か月ですね、こんな贅沢な時間を過ごして精神的に楽しいのは。
自分の中で、もうそろそろ活動しなきゃな、というスイッチがカチッと入りました。
次はどうやって稼いでいくかな。
自宅にいたらだらけてしまうので、主にドロップインで活用できるコワーキングスペースで次のプランを練り始めました。
やり方ですが、主にスケッチブックをつかい、マインドマップで自分の想いを整理していくスタイルをとっていました。
そんな中、実は何社かから、「うちにこない?」とお声がけくださった会社が何社かありました。本当にありがたいことです。
いろいろ悩みましたが、自分の中では個人事業主として独立することを決意しました。
さあ、このことをどうやって妻に説明し、納得してもらうかだな。
3.実は採用面接も受けていた
自分が次どうやっていくのかについて、正直妻はそこまで口出しをすることはありませんでした。
とはいえ、かなりの安全志向な人なので、個人事業主を選んでも不安にならないような計画を示す必要がありました。(なんか事業計画の説明みたいだなw)
なので、最初妻には転職と独立を並行で検討している、と伝えました。
事実、何社かの方から「うちで働かない?」とお声がけいただいていたのです。中には名前を聞けば誰でも知っているようなところかれもお話があったのです。
本当に有難い事です。
実際に採用面接も受けました。これは失業保険を受け取る意味でも必要だったということもあります。
安定志向の妻を安心させる意味で、まずは会社で働くことも選択肢の一つとして考えているよ、という意思を行動で示しました。
4.一番気にしている収入に対する説明
サラリーマンになったら毎月安定して給料が振り込まれます。妻としてはこれが一番の将来に対する安心材料になるわけです。
他方、個人事業主でそれが約束できるか。
残念ながら100%の保証はありません。
なので、少しでもこの不安を払拭するためのシナリオを作り上げる必要があります。
そこで、私はまず将来かかってくる費用でいちばん大きな、子供たちの学費に着目しました。
2人が大学を卒業するまでの資金をざっくり計算したら、今回会社からもらった退職金でなんとか賄えそうだということがわかりました。
これは本当に有難かったです。前職の会社に感謝です。
(じゃあそれ以外の将来のことはどうするんだ、ということはいったん後ろに置いておくことに。。。)
なので、妻に対しては、子供の学費についてはめどが立つ。なのであとは日々の生活費を稼げばいいことになるよね、と説明しました。
そして、当時トレーニング講師の仕事依頼をこなしたりし始めていたので、なんとなく仕事が舞い込みそうな予感はありました。
仕事の内容についても、これまでと同じようなプロマネやエンジニア支援の仕事なので、全然違うような事業を始めるわけではないこと、なにか設備投資を行ったり、人を雇ったりするような借金をすることは全くないことなどの説明も丁寧にしました。
5.妻を納得させた最後のひとこと
それでも、将来にわたって安定した収入を得ることが保障されているわけではありません。
そこで、最後のカードを切りました。
「3年やってみてものにならなかったら、見切りをつけてサラリーマンに戻るから」
年がたてばたつほど、転職活動は難しくなるでしょう。また、そこまで高い給料がもらえるわけではないと思います。
それでも、自分の経験と実績、実力をもっていれば、絶対どこかに就職はできると(根拠ないですが)言い切りました。
これで妻は納得してくれました。
まあ、自分では(根拠なく)やっていける自身があったので、この時点でサラリーマンに戻る気は全くなかったのですけどね(笑)
こうして、私は家族の同意を得ることができ、快くタカハマプロジェクトを開業することができたのです。
個人事業主は今3年目となりますが、おかげさまで順調です。
収入額も、サラリーマン時代よりもかなりアップしているのでまあ文句は言わせません(笑)
6.子供たちへの説明
子どもたちはちょうど受験の真っ最中でした。
なので、生活の基盤が揺らぐというような不安要素を与えるわけにはいかないと思い、会社を卒業することは黙っていました。
その間は、妻にも協力してもらって、さも仕事をしているような感じで会話をしていました。
子どもたちにカミングアウトしたのは受験が終わり、ひと段落してからです。
家族集まって、説明をしました。
2人ともすごく驚いていましたが、学費についてはめどが立っているから卒業までは心配しなくてもよい、ということを話したことで安心してくれたようです。
子どもたちから見たら、そもそも普段から在宅勤務をよくしていたのでまったく気づかなかったようです。
7.一番気を使った、妻のご両親への説明
私両親ですが、父は他界しており、母が兄夫婦と暮らしています。
母には帰省した際に説明しました。
母には自分がやりたいことをやればいいと背中を押してくれました。
実は、一番苦労したのが妻のご両親、特にお義父さんへの説明でした。
もともとは日本の大手電機メーカであった前々職に勤めていて安定しているだろうということで結婚を認めていただいたこともありました。
なので、前職の外資系IT会社に転職する際にも、表立って反対はされませんでしたが、かなり心配されたのは確かです。
今回は、もうアラフィフに近づいた状態でさらに冒険するわけです。心配されないわけがありません。
お義父さんに対しては、大きな借金を背負ったりするわけではないこと、実際にはこれまでと変わらない働き方であることなど誠心誠意、自分の想いと、今後のプランを説明し、納得していただきました。
開業までの中で、いちばん緊張した場面でしたね。
8.今回のまとめ
私のケースが誰にでも当てはまるとはおもっていません。
言いたかったことは、自分がどうしたいんだ、ということばかりを熱く主張しても、相手が不安に感じていることに対するお手当が盛り込まれていなければ響かない、むしろ平行線になるということです。
開業前にいちばん頭を使ってシナリオを考えたのはまさにこの部分でしたからね。
あと、これもすごく大事なのですが、常日頃からの家族、特に妻との信頼関係が大事なんだろうなぁ、と思いました。
タカハマプロジェクトは今年6月で4期目を迎えます。今の状況に満足せず、世の若手エンジニア君やプロマネ君たちに貢献していけるよう活動していきたいと思いマッスル。
それではまた!
日々感謝 m(_ _)m