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愛の花を咲かし続ける旅人「百万円と苦虫女」

00年代をひとりで牽引したミューズ

2024年は河合優実の魅力が爆発的に拡散され、たぶん向こう数年は時代のミューズになっていくと「ナミビアの砂漠」を観て確信した年だった。
ふと振り返ると、邦画界ってその時代にミューズが存在しているような気がする。
2010年あたりから満島ひかり、そのあとすぐに二階堂ふみが大暴れし始めた。
2010年代中期からは安藤さくら松岡茉優の圧力系存在感、「Theメジャー」広瀬すずをよく目にするようになった。
そこから少しだけ松岡茉優を追いかけるように伊藤沙莉が現れた感じ。

満島ひかり以前って誰なんだろう?って考えた時、実はけっこうの長い期間を蒼井優が支配していたような気がする。
特に!2006年「フラガール」以降の蒼井優は神々しささえ感じるほど光り輝いていた。
特に、主演を務めた本作「百万円と苦虫女」は蒼井優の魅力が炸裂している。あの頃にはきっとこの言葉はなかったから今あえて言う、尊すぎる

ちなみに蒼井優好きとしては、拒食症のミキを演じるために死ぬほど細くなった「クワイエットルームへようこそ」もすごいイイ。
こちらは尊いというより、自分の中の破壊衝動が出現してしまいそうな儚さがあった。

「クワイエットルームへようこそ」(左)
「百万円と苦虫女」(右)
強すぎる存在感と神々しい美しさ

今現在の蒼井優も唯一無二の儚さと力強さを併せ持つ存在感だと思うんだけど、この頃の瞳の美しさは、文字通り息を呑むほどの美しさだ。

そんな蒼井優のロードムービーだ。
美しい瞳から見える世界はのぞいてみたくなる、なぁそうだろう?

愛の種を蒔き、花を咲かせる人

ストーリーはシンプル。

ひょんならことから濡れ衣を着せられ、前科持ちになってしまう蒼井優演じる鈴子。
学校でいじめられている弟と強く結びつき、手紙を交換しながら、百万円貯まるごとに色々な地に移り住み、様々な人に触れ合いながら自分と見つめ合う物語。

最初の地は、初夏・海辺の街。
海の家でアルバイトをする。
経営者家族とはそれなり親密になるものの、地元の若い男の子に目をつけられ、必死にアプローチを受けるが、ただただそれが煩わしく、迷惑そうな鈴子が面白い。
海の家ってたしか場所によってはかなり時給も良かったはず。

次の地は、残暑厳しい桃の産地である田舎の村。
高齢のばあさんと中年息子の2人暮らしの家に住み込みで働き、桃の収穫を行う。
過疎化が進み、若い娘がいない村に現れた鈴子はたちまち話題の人物になり、村長は「これは広報になるべ」と勝手に鈴子はキャンペーンガールに押し上げ、桃娘にしようとしてしまう。
元々自分のことを誰も知らない場所に身を置きたかった鈴子にとっては、これは迷惑極まりないことだった。
そして鈴子は収穫期が終わるその前に、桃農家から旅立つことになる。

映画で描かれた最後の街は、都心から少し離れた地方都市のような場所。
調べたら、ほとんどが埼玉みたいだ。
ホームセンターで始めたアルバイト生活、そこで出会った森山未來演じる中島と恋に落ちる。お互い不器用過ぎる慎ましく短い恋なんだけど、それさえも甘酸っぱく、もどかしい。(この頃の森山未來もエグいほどエモい)

この作品のグッとくるところは、鈴子が出会う人が誰もが愛の種を蒔かれ、愛の花を咲かせてしまうところだ。
もちろんそれは、海の家で出会ったアイツのような軽いひと夏の恋心のようなモノもあれば、桃農家でまるで娘のように面倒を見てもらい、桃娘を嫌がる鈴子を意地汚い人たちから守ろうとしてくれた慈愛の花を咲かせた、そんな風に思える。

地方都市で出会った中島との愛は、直球どストレートの愛の花を咲かせた、まぁネギの花だけど。
誰かのことを気にしたり気にされたりすることが煩わしく、極力「自分のことを気にしないで欲しい」と望んでいた鈴子が、中島に
「好きです、でも気にしないでください」と童貞みたいなことを言われる。
鈴子はこの終わりのない旅で初めて、自分自身の中にも愛の種が芽生えそうなことを知ったのではないか。もしかしたら、この場所に根を生やすことを考えたのかもしれない。
中島の告白に対する鈴子の
「気にします」からの徐々に近づき手を繋ぐシーンは、わりと2000年代の邦画でもトップクラスの胸キュン場面だったと僕は思っている。

中島が鈴子を追いかけるシーンが好きすぎる
森山未來は自転車が似合うんだよ・・・(モテキ ドラマ版)

ただこの物語の中に「約束の地」はない、止まることはないのだ。
鈴子は誰かの心に愛の花を咲かせたら、また次の場所に進むのだ。
そう、ドーナツを口にくわえながら。

涙は枯れないわ 明日へと繋がる輪

Where must we go,
we who wander this wasteland,
in search of our better selves?

そう、鈴子はハードボイルドなんだ。
身も心も腐り切った地ブス(地元のブスの略語、地ビール的な…)のギャルに、
名誉毀損で訴えるぞこのブス
と名啖呵を切った鈴子からみて分かるように、鈴子は自分の意志をしっかりと持っている。

自分自身は愛の花を咲かせはその地を去り、自分の姿を遠くから伝聞した弟は、逃走ではなく、その地で闘いを続ける日々を選択する。
そしてまた荒廃した地を彷徨う、より良い自分を求めて
どっかで見た話だと思ったあなた。
そう、鈴子は「MAD MAX 怒りのデス・ロード」のマックスと同じなんだよ!(弟はフュリオサ)

途中、自分の過去を中島に告白するカフェのシーンでも、
どうやったって、自分の行動で自分は生きていかなきゃいけない」と鈴子自身は言っている。

鈴子の言葉にはどちらかといえば切迫感のある意味合いが強く含まれていたけれど、鈴子から僕らが受け取るべきメッセージは、自分自身の人生を生きるということなんだと思う。
いや、そうじゃなければいけない!少なくとも僕はそう感じた。

このカットの切り返しは胸が張り裂けそうになった
「来るわけないか」と進む、自分の歴史を作りし女

僕たちはきっと、これからも出会いや別れを繰り返しながら生きていく。歳を重ねれば出会いは減り、別ればかりになるかもしれない。
それでも!涙を流し、ゲラゲラ笑いながら、大きな荷物を抱えて、より良い自分を探し彷徨いたいなと思った。

涙は明日の為 新しい花の種 
-あいみょん-





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