母の話。
母は、24歳になるわたしを、まだまだよくわからない掴めない、扱いにくい娘だと思っているんだろうなぁ、とよく思う。
実家に居座る身分で言えた話でもないが、よくお風呂に長すぎるほど入っていたり、急に薄給の中10万叩いてiPadを買ってきたり、毎日そう忙しそうにもないのに帰りが遅かったり。よく掴めないと思っているんだろうなぁと思っている。
それは毎日noteを書く生活をしていて、お風呂という一人になれる場所がその良き場所となっているためであることや、外でもキーボードを使いやすいように軽いiPadを買ったのだという理由や、残業でない日も駅のカフェなどで本を読んだり文章を書いたりしてから帰路についているからということを母は知らない。ただネットサーフィンをしている娘だとも思っている気がする。それでもわたしは隠している、というよりなんだか言えない、言おうと思っていない、そんな部分だったりする。
今日も、あるコンテストで賞金をいただけることになったがそれの源泉徴収の有無がよくわからなくて、安易に一般化させて母に聞こうとしたけれど、“なんで?”と開口一番に聞かれて、一気に全て濁したところである。「〇〇というコンテストで、文章を選んでもらったんだよね」とその一言が言えなかった。
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いつも、わたしは母と話す時に、間にぬいぐるみを登場させる。それはくまのプーさんのぬいぐるみだったり、ねこのぬいぐるみだったりするけれど、擬人化した、仲介物を通せば母と話しやすかった。大抵くだらない話をしているが、たとえば謝る時も、ありがとうという時も、それらを通した方が言いやすかった。
要は恥ずかしながらこの歳になっても思春期が抜け出せないようなものでもあると思うのだが、なんだかまだ母の前でわたしは感情も抱えるものも真っ裸になることができないでいた。
母とは洋服の趣味も合うし、母と買い物に行くといつも自分ひとりでは見つけ出せない掘り出し物を見つけてくれる。母の選ぶものはセンスが良い。母と行く買い物は楽しい。
しかし、何か自分ひとりで買った時、考えて選び取った時、母の一言目は軽やかな否定だった。「え、そんなに高いの」「え、全然入らないじゃん」そんな言葉の後に、「まぁでも良いんじゃない、買っちゃったんだし」と言われる。
なんだかそんなさらっと軽すぎる否定に、わたしはいつも鈍い痛みを感じていた。一撃するほどではないけれど、青痣になる、そんな痛みだった。
もう10年ほど前の話になるが、中学受験をする時、わたしは特に深く考えずに制服の可愛い中学に行きたいと言った。けれど、どうにかこうにか説得させられてそんなに制服は可愛くない、少人数の教育に力を入れた中学に入ることになった。今思えば行きたいと言った学校はお盛んな学校だったし、この選択が合っているような気がしなくもないけれど、なんとなくわたしの思いは通らないんだ、という心残りのような引っ掛かりが今もなお心に残っている。
そんな青痣や、魚の骨が喉に引っかかる感じが、母との間には存在している。
そして、そのちょっとした痛みや違和感はだんだんと「わたしは母に何かを言うと自分の意思を通せなくなってしまう」そう自ら選択するということを母から距離を置くことで守るようになってきた。
だから、母には、その表面や結果しか見えずに、よく分からない娘、として認識されているんだと思う。
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母の選択は結果的に正しいことが多い。選ばれた中学はそれなりに自分に合っていたと思うし、母がさらっと否定した洋服は、たしかに言われてみればその否定も肯ける。一人で買った時は気がつかなかったけれど。
それでも、あの時納得しなかった、自分の選択が正しいと思えなかった自分がいつまでもわたしの心の中にはいる。その時の自分が、母と正直に自分の心の内を話すことを止めているような気がする。
もちろん、母の言うこともわかるし、子を思う親の心なるものなのだろうと思う。もし、自分が子どもを産んだ時、彼らの選択を全面に支えてあげられるか、と言われてもそれはとても難しいんだろうな、と思う。
それでも、わたしはそろそろ、母の前で自分の意見を言って自分の生きる道を示さないと、それが母と距離を作るものだとしても、このまま痛みや違和感を飲み込んだまま生きるのはもうすぐ限界が来るんだろうなと言う気もしている。
わたしが母の前で真っ裸になれたその日、きっとわたしは今覆っている殻を破れるんだろうなぁと思う。今年、25になる歳に破れたらいいな、親離れできたらいいなと思う。