嫌いなものとの対峙の仕方 ~小学校時代②~
ぼくの小学校では、学校で調理して出てくるタイプの給食だった。
今も小学校はそういうところが多いのかな、どうなんだろう。
かならず毎日牛乳がついてきて、カンカン叩くといい音の鳴る、あのなんともいえない玉虫色の器で出てくる給食。
なぜかコッペパンはぱさぱさで、ぽろぽろとこぼれるので、ひっそり給食袋に入れて持って帰るときなんかは中で暴れて大変だった。
小学校の給食というと、嫌いなものが誰にもひとつかふたつはあるんじゃないかと勝手に思っているんだけど、ぼくにとっては”ぶどうパン”と”焼きビーフン”だった。
ぶどうパンって、やっぱりぱさぱさしてるし、なんかあのパンに入っているぶどうってレーズンみたいで好きになれなかった。
焼きビーフンは、まあ細いニンジンが入っているのは百歩譲っていいとして、シイタケがどうしても食べられなかった。
シイタケは今も苦手で、ぬめっとした感じと、噛めば噛むほど味が出てこないのになぜか噛み続けることのできるなぞの弾力とが相互作用して、飲み込むことができなかった。
給食で嫌いなものがでてきたとき、たとえば、友達にそっと譲ってあげるとか、ばれないように捨てるとか、口に含んだままトイレにいって吐き出すとか、いろいろ策が考えられると思うけど、当時のぼくは、どうしたって不器用で(今もそれは変わらないが)、給食の時間が終わり、休み時間が終わるまで、ただじっと、席に座ったまま耐え続けるこどもだった。
ズルとかができず、変に真面目で頑固なぼくは、嫌いなもの以外はしっかりと平らげ、器には嫌いなもののみが残った。
そして、「さあ、これをどうしてみせようか」と頭を悩ますのである。
戦国時代で言えば、徳川家康似といえるだろうか。
鳴かぬなら、鳴くまで待とう、ほととぎす。
つまり、ことが過ぎ去るまで、じっと耐え忍ぶことを選んだ。
先生がぼくの近くに来て、こう言う。
『やまざきくん、嫌いなものでもちゃんと食べないとダメよ』
ぼくは、じーっと下を向いたまま、ただ黙って聞いていた。
動かざること山ざきの如し、だ。
何回かこれを繰り返すと、周りの子はみんな給食を食べ終わり、そそくさと遊びに出かける。おのおの、ボールを取り出してドッジボールやサッカーをしたり、教室でおやとりをしたり、ただ話したり。
そんな中、一人ぽつんと、給食の器を目の前にして座っていた。
器の返却はとうに終わってしまっているので、給食室のおばちゃんに、返しに行かなければならなかった。
きっと先生も呆れていただろうし、給食のおばちゃんたちの間では、いつも一人で休み時間終わりに器を返しに来る子がいる…などと噂されていただろう。
そうして、ぼくはいつも、嵐が去るのをじっと待つのだ。
我慢勝負である。
もっとスマートなやり方もあるだろうに、変なところだけ頑固で、不器用で、こうと決めたら曲げない。
そういう気質は今もぼくの中に根付いているし、それで苦しむことも、救われることもある。
ただ、嫌いなものと出会ったとき、当時のぼくは、うまくかわす、逃げるという選択肢を取れなかったし、反抗もできなかった。
心身ともに、動けなかった、と言ったほうがきっと正しい。
この【身動きの取れない感じ】【ただじっと耐えることでやり過ごす感じ】は、これ以降のぼくにずっと通じていたんだろうし、そう考えるとしっくりとくることがいくつもある。
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