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餃子づくり=体育(器械運動系編)②

自己紹介を兼ねて体育語り

自己紹介

小学校で先生をしているysuke(わい、すけ)と申します。
「y(わい)は、suke(すけ)と言います」という自己紹介と、
みんなが
毎日を「わーい!(y)」と楽しく過ごすための
「助っ人(suke)」になりたいという思いを込めて
ysukeと名乗っています。
一番、興味があることは、体育なので
体育の授業で使えそうな「考え方」を中心に
Xで発信しています。
興味がある人は、フォローしていただけたらうれしいです。

「餃子づくり=体育」の考え方

ある日、息子達にと一緒に餃子をつくっていたら、
体育に似ているところあるなぁとふと思いました。
どこが、どのように似ているか
何を感じたかを語りながら、
自分の体育観を言語化し、それを自己紹介としようと考えました。
餃子づくりの場面を交えながら、
体育授業のつくり方を考えていけたらと思います。

個人的な考えになります。
このnoteが誰かの考えの「助っ人」になっていたら
最高にうれしいです。

バックナンバーたち 

↓これは「餃子づくり=体育」の背景について簡単に語ってみてます↓

この記事を読むために書いた前提の話
餃子づくり=体育(器械運動系編)①↓


一言で、器械運動系ならではの学びとは?

⇒回転のコントロール

器械運動系の内容を
ざくっと
マット・鉄棒・跳び箱としてみると
すべて「回転」について学んでいると言えます

マット上で、回転のコントロール
鉄棒上で、回転のコントロール
跳び箱を越えるときに、回転をコントロール

全部「回転」です

⇒評価について

回転のコントロールがアップデートされていれば、
知識・技能は、○
これを見取るためには、
先生が一人一人の子どもの現在地を知るために工夫する必要があります

具体的に話す!マット編

餃子は、餃子を作らないとうまくならない

あとちょっとで餃子?たち

なら、前転も、前転をしなくてはうまくならないとなる
もちろん、そう。前転をしないと前転はうまくはならない
しかし、うまくなる途中、きびしい修行のような時間を過ごした子どもは
もう二度と前転をしよう(餃子をつくろう)とは思わないだろう
前転して、回転のコントロールを学ぶ?
いいえ
回転のコントロールを学ぼうとして試す→その中で前転を通る
このイメージがマット運動嫌いを生み出さない大切なポイントだと考えます

【続】「餃子」を「前転」に置き換えてみましょう

餃子とうれしそうに言いながら、つくった餃子?

前置きが長くなりました①の続きです
「前転」という技は、

私はお店で売っている「きれいな餃子」のことだと思います。
とすれば、
餃子A~Dは
A「前転っぽい前転がり」
B「前転がり」
C「頭越し」
D「寝返り」

でしょうか?
(餃子A~Dが分からない方で知りたい人は、前の記事をご覧ください)
以下は、
前転という技までに通るであろう
動きを自分なりのまとめたものになります
色々な本やら資料やらをあさりました…

A「前転っぽい前転がり」
 →前方へまっすぐクルッと転がる
  なんだかクルッと回っているから手を使わなくても立てそうな感じ
  しかし、なにやら回転力が足りず、手を使っているような…という段階
 ※ 逆に、これは前転がりであり、前転ではないことも記しておく

B「前転がり」
 →前方向なので、半円すべての方向が「前」転がり
  結構、斜めに転がるのもねらってやると難しいもんです

C「頭越え」
 →頭頂部を越えて(つかないこともあるけど…)ゴロン
  これが最初の「怖さ」の壁だと思います…
  怖い子は、痛いより越えた後どうなるか分からないから怖いことが多い  
  気がします

D「寝返り」
 →寝て転がること。
  横転がりで頭頂部を越えることない回転。これで酔ってしまう子もいる
  いろいろな動きのバリエーションがあって楽しいし、
  体が動く子なら、できない子がいないという「やさしさ」もいい

これくらい「できる」の段階を細分化した上で
子どもの動きを見ていると
「今、この辺かぁ」と見え、
「これできる?」とニコニコしながら
次なる課題を提示できるようになるのかなと思います

低学年に対し、先生が「前転しましょう」と言っていたら…

低学年で、マットを使った授業をしているときに
先生が「前転してみよう」と言ったとします
幼稚園や保育園、習い事等で鍛えられた子達が
これ見よがしに
「THE 前転」を披露
すごーい!パチパチ!
よくある風景

披露してくれた子ども達は認めてあげてほしいけれど…
そもそも「前転」は低学年の内容にないはずです…
もっと言うと「前転」なんていう言葉を知らない子はたくさんいます…
なのに、「THE 前転」ができてしまう子が学級にいると
何気なく、
そう、笑顔で悪気なく、
「前転してみよう!」とか子どもの前で言ってしまう…
先生が技名を言葉として子どもに放つ
その技ができる子は、「よしっ
その技ができない子は、「えっ
学級の中に
できる/できないの「基準」が生まれる瞬間はこんな感じで
突如、おとずれます…体育の場合、先生が原因であることもしばしば

そして、
知らず知らずのうちに
子ども達の考え方が
できるが○
できないが△になってしまう…
そう考えてしまうのは、自然なことだなぁと思います
学習環境としての先生の影響力は抜群です
自分としては、
低学年には「前転」という言葉は使うのはやめた方がいい
いうのが持論です。
「回っている」「コロコロしてる」等で十分な気がしています

技習得中心の授業が「できない子」「やれる子」の没頭を奪う?

「できない子」について

技ができる○の雰囲気は、
先生が技名を言い放った後、すぐ流れます
そうなったら、
できない子はできないですから、気が気でありません
できないことがなんだか「恥ずかしいこと」になる5秒前です
「恥ずかしい」→「(恥ずかしいから)やりたくない…」
→「(失敗を見せるくらいなら)ふざけるか…」
  ⇑この辺りで、先生がちゃんとやっていないことに気付いて指導
→「(そもそもお前がやれって言わなきゃ怒られなかった…)めんどいな」
こんなところでしょうか?
ここまでいくともう、前転(マット)が嫌いになっているかもです悲
私は、器械運動系を行うとき、雰囲気をとても大切にします
なんなら、その雰囲気づくりさえも体育の学習内容だと考えています
考え方「技ができる○」を使うときは、その場に流れる雰囲気に注意です
脱・落ちこぼれ的マインド
餃子を作る度に、いきなりお店の餃子と出来映えを比べ、
自分はできてないできてない
隣には、あっという間にお店レベルのものをつくってしまう子もいて…
「自分には才能がない」……なんて思う子もいますよ…きっと

「できる子」について

一方、できる子にとっても
「技ができる○」の雰囲気は注意が必要です
始めは、いきようようと技を決め、承認欲求を満たしていきます
「見て見て」→「(先生にできない子につき、余裕×)ほめてほしい」
とりあえず、技を繰り返す→学級でマットうまい子というイメージが成熟
→「なんか失敗できない?ようになった気がする」
→「みんなが見ているから、失敗はゆるされないぞ」
→「失敗しているところより、みんなには、できている姿を見せよう…」
→「簡単な技にしか挑戦できない」→「なんか面白くないなぁ」
→「チャレンジしなくないなぁ」→「なんだか、めんどくさいなぁ」
脱・吹きこぼれ的マインド
もうお店の餃子は作れる技術は十分にあるのに
それ以上のことは「ちょっと待ってて」と…
場合によっては、新人の教育係として任務もを任されることも
ただ、ただ待つことを強要された子は
たぶん、餃子をつくりたくなることはないのかも
「なんか、面白くないな」…なんて思う子もいますよ…きっと

と、かなり偏った子どもの姿を語りました
でも、日本中、探せば、いるんじゃないかなぁこんな感じの子
というか、今でも意識しないと自分は授業で生み出してしまうかも…

学習内容としては前転。
現在、中学年を担任しているので
イメージが中学年になってしまい…
違う学年を担任されている方は
自分の学年バージョンに置き換えて考えてみてわからないところを
教材研究してみるとよいかもしれません
温かい目で見ていただけたらと思います

一人一人がマットを使った授業で「できる」を楽しむために必要なこと

ポイントは、器械運動系は
「回転のコントロール」を学んでいるという感覚を
子ども達に手渡す
こと

上記の話をように
「できない子」や「できる子」が同じ場所にいて
ある技の出来不出来で
評価をしたら大変なことになりませんか?
だから
「回転のコントロールを学ぶ」という視点で
子どもの動きを見て
アップデートできているかという基準で
評価する必要があると考えています

繰り返しになりますが、

先生の考えることを
「前転(という技)を教えること」から
「前方向への回転経験を増やすこと」

つまり、
「技ができること」から
「回転のコントロールが学べること」

捉え方をチェンジしてみては
どうかなと思っています

続きは、餃子づくり=体育(器械運動系編)③

③の内容 「できる子」と「できない子」が混在…どうする?

③の内容 「回転コントロールを試す」が中心の授業の具体 等

を自分の経験とともに語っていきます。

Xやネットを見ていると、
具体的でとても素敵な実践がたくさんあります
本当にすごく勉強になります

「本やXのアイディアをどう授業づくりに生かしているのか」
「授業中の先生の在り方」      など、
体育に困る方の「助っ人」的に考えを提供するような
発信ができたらと考えています

また、
気が向いたときに
noteにまとめていきたいと思っています。

ご興味がある方をお付き合いいただけたらと思います。

これからの体育を考えていきたいysukeでした~

体育でしあわせになる方法をを学べる子が一人でも増えますように☆

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