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札バン研究所「あずまりゅーた『僕の事情』全曲解析③
こちら、札バン研究所
札幌を拠点とするバンド、略して札バン。
その音楽を研究する今回は、バンドではなく、ソロアーティスト。アコギ一本で自作曲を弾き語る、1994年生まれ、あずまりゅーた。
彼のアルバム『僕の事情』に収録された全10曲から、第3回は、6~8曲目を解析する。
#6 愛なんだ
なんて、てらいのないタイトルなんだ。
録音もストレート。弾き語りを一発録りして、ほぼそのまま加工せずに仕上げている。テイクも一発だったような。
メロディーという点では、アルバム10曲中、最も美しい。構成もAメロ 、Bメロ、サビと展開する王道。
キィーはA♭(半音下げで、G)。面白いのはサビの終わりで、一旦主音のA♭に解決したのに、その後 ♪ キモチ と付け足して、まだ続くようなニュアンスを残しながら間奏に行くところ。また、ラストでも、アカペラになって終わるのだが、最後の音が中途半端なD♭になっている。
理由は曲のテーマに絡んでいるので、後でまた。
それにしても、ほんと、単純に、いい曲だ。加工せず、素材のまま勝負できると考えたのもよくわかる。
しかしっ!
歌詞はやっぱり一筋縄ではいかない。まあ、ここが普通だったら、それはもはやあずまりゅーたではないのだろうけど。
終始、隠喩による表現が続いて、多様な解釈が出来そうだ。
♪ いちばん最初のドアを 最後の気持ちで開ける
嘘をついたままの僕が泣いている
いちばん最後のドアを 最初のつもりで開ける
目隠ししたままの 僕が笑ってる
ドアは境界だ。その向こうに何があるか、わからない。それが何と何の境い目なのかは、サビでわかる。
♪ 愛なんだ 僕は知ってる
愛なんだ 僕は知ってる
これは恋じゃない
これは恋じゃない キモチ
この境界は、「恋」から「愛」への狭間である。「最初のドア」はこれから始まる「愛」の扉であり、「最後のドア」はここで終わる「恋」の扉。「恋を終わらせ、「愛」を始める、まさにその瞬間。
だが、そのことを、「僕」はどう思っているのか。
「嘘をついたまま泣いている」のは、自責の念。「目隠しして笑っている」のは、無謀な楽観。どちらも、ネガティブな感情を語っているように思える。ボーカルも、全編哀愁を帯びたトーンだし。
少なくとも、「愛の始まり」を手放しで喜んではいない。自信がない。迷いがある。だから「嘘をついたまま泣いている」のだし、「目隠しして笑ってる」のだ。
恋から愛へ、踏み出すかどうか。未知の世界へのおののき。そのためらいがこの曲のテーマであり、先に触れた、中途半端な音で終わっている理由だろう。しっかり主音で解決してしまうと、自信に満ちた曲になってしまうから。
ただ、それでも、
♪ はじまりの時だ 終わらせるつもりだ
と「僕」は決意する。
#7 メンフィス通り
メンフィスと言えば、アメリカ南部の都市。そこにはビール・ストリートという通りがあって、ブルースの聖地となっている。かつては日曜になると、通りにブルースマンが溢れ、路上パフォーマンスを繰り広げていた。
だから、この歌のタイトルから、ブルースを連想するのは自然だ。唯一ブルースハープも使われている。
ただ、音楽的にはブルースじゃない。3コードでもないし、ブルーノートも出て来ない。ハープのスタイルも、フォークのそれだ。
それでも、この曲の歌詞は、ブルースの伝統の中にある。
ブルースの歌詞というのは、結構脈絡がなかったりする。それは元々きちんと作詞されたものではなく、定型的な文句を適当に歌いながら、時々思いついた言葉を混ぜていく即興的なスタイルで徐々につくられていくものだったからだ。歌詞が固定されるようになったのは、白人がブルースのレコーディングを始めてからだろう。タイトルがついて、作詞作曲者が明記され、黒人も著作権というものを知ったのだ。
ともあれ、その伝統的なブルースの作詞法に倣ったみたいに、この曲の歌詞も脈絡がなく、謎めいている。
♪ メンフィス通りには雨が降る
僕の孤独を取っ払っていく
と言うから、ああ、ここには仲間もいて、楽しい通りなのかな、と思うと、すぐ次。
♪ メンフィス通りには雨が降る
知らない奴らがどこかで見張ってる
と、何やら不穏なことを言い出す。最後の語尾は呻くように歌われる。これは防犯カメラが張り巡らされた監視社会の暗喩なのか。「孤独」はむしろプライバシーであり、「取っ払う」というのはそれが奪われた状況を指すのか。
そして突然、舞台は神戸に飛ぶ。
♪ 神戸のホテルから僕の弱さがバレた
君にあげる歌を考えているところ
神戸に行った時、「僕」は浮気したんだろうか。それが「君」にバレた。見張っている奴らがバラしたのかも知れない。そこで「君」の怒りをなだめるために、「歌を考えている」ということなのか。
この箇所で、うっすらと重ねられたハーモニーがとても効いている。コーラスのようにも、シンセのようにも聞こえる。
そして再び、
♪ 知らない奴らがどこかで見張ってる
知らない奴らがどこかで笑ってる
それに対して「僕」は ♪ 笑っちゃう と歌うのだ。
繰り返し、笑いながら、裏声交じりに。
だって、見張っている奴らだって、結局別の奴らに見張られているんだから。それを知らずに僕を笑ってるなんて、笑っちゃうよな、ということなのか。
キィーはA♭(半音下げで、G)。ブレイクに入る、音階から外れたハーモニクスや加工されたブルースハープのインパクトが効果的だ。歌詞だけでなくサウンドにも、フレーズより音の響きで表現しようとするコンセプトが一貫している。
神秘的なメンフィス通り。ちょっと怖いけど、行ってみたい。
※Youtubeには、エレキとドラムのデュオによるライブ映像がアップされている。
#8 月にハイライト
終わった恋の、回想の歌。
素直な歌詞。解釈の必要もない。
しかし、ずっと「僕」の一人称で歌われてきて、
♪ 唄にしたよ 君のことを
唄にしてほしそうだったから
というサビが終わって、間奏明け。
♪ 唄にしてよ アタシのことを
唄にするような女じゃないよね
と、不意に現れる「アタシ」の一人称。「ライブハウスとイベンター」と同じ、女歌に突然変わるところが、あずまりゅーたらしい。
「唄にしてほしそうだったから」という男の眼差しにリアルを感じる。そして、「唄にするような女じゃないよね」という女の自己卑下。別れた後、いまさら君のことを唄にしたよ、と呟く男の未練。
唄を巡り、すれ違っていく心理の綾が、短い言葉で掬い取られ、女歌になった辺りから歌のボルテージも上がっていく。しゃくりあげるようなブレス音が裏拍に入り、それがグルーブを強化する。
キィーはA♭(半音下げでG)。やっぱりこのキィーが多いのは、きれいに歌える最高音がA♭だからだろうか。
内省的な歌詞なのに、楽曲はアップテンポ。暫くゆったりした曲が続いていたので、ハッとさせられる。激しくアコギを掻き鳴らし、ゴーストノートもふんだんに使ったパーカッシブなカッティング。低音弦を使ったベースのフレーズもうまい。
サビのメロディーも、実にキャッチ―だ。特に「唄にしてほしそうだったから」の箇所。♪ 唄にしてほしそうだ で一回切って、休符を挟み、♪ ったから と続くリズムがかっこいい。
ところどころに歌詞をなぞって、しゃべり声が入る。後半ではちょっと、声と歌が掛け合いのようになる。音像が立体的になり、内省とは自己との対話である、ということがよくわかる。
余談だけど、歌い出しの、♪ ハイライトのメンソールを吸えば思い出す という歌詞を聴いて、へー、ハイライトにメンソールなんてあるんだな、って思った。自分が煙草を吸っていた20世紀にはなかったので。
そう言えば、その頃、サントリーレッドというウィスキーのコマーシャルに糸井重里が「男と女じゃ、男が悪い」というコピーを書いていたっけ。男女の機微を捉えた名コピーとされているけど、この歌の、
♪ いつでもふたりで笑ってた いつでも君が怒ってた
というところも、男女の機微を巧みに捉えて優れている。
to be continued……