
ゆる~く旅日記、富岡製糸場
推しのシンガーソングライターのバーを場所として利用した、ゲストも呼んでのツーマンライブが東京で開かれたので、本格的なサラリーマンではないフリーターかフリーランスの自分は、少し長めにこの東京への旅のスケジュールを余裕を持たせて4泊くらい計画した。途中暇ができてしまい、時間をつぶすことになったが、北関東には自分の拠点からそう何度も簡単に足を運べない、あこがれがあった。
東京から日帰りで行けるとあって、しかも自分の好きな快速電車のグリーン車の有料座席に乗ることができる。またホームに並ぶ無料座席を争うかのように整列している乗客をやや優越感を感じて眺めながら、群馬県まで料金は往復でかなり高いと不満げに思いつつ、電車に揺られて日本の発展に貢献しただろう、有名な工場か作業場跡を訪ねることとした。
オーバーツーリズムと言われて久しいが、この場所に外国人がたくさんいたかどうかは覚えていないが、立地していた町の住民やすれ違う人は私を穏やかに受け入れてくれた。最寄駅からの交通はバス便もあったようだが、そんなに離れていなくて、ぶらぶら散策も旅のだいご味なので当然ながら無料の徒歩を選んで、途中生活する人の乗る乗用車と離合が困難な細い道もあったが、そのドライバーでさえ挨拶してくれる何事もない、心もまた平穏な道のりだった。
富岡製糸場には観光客がたくさんいたが、みなその珍しさというか、当時にしては立派なたたずまいというか、そんなに混雑はしていなかったというか、荒れ狂う観光地の印象はなかった。個人的に繰糸場が印象に残ったが、自分がたまに工場や倉庫での現場作業をしていたので、それを思い出しそう考えると現在より労働環境は吹きっさらしとかでなく糸を繰るのは座った作業ではあろうが、まあまあいい作業場ではなかったかと思うものであった。

そして、ここで働く工女に一等工女とか名づけられ、繰る速さか品質かによってランク分けと報酬の差配が設けられ、インセンティブもある納得のいく給与体系ではなかったかと同時にここへ旅行して初めて知った。
そして、私がもっとも心を打たれたのはその製糸場からの富岡の山あいの静かな街並みであった。東京から離れて各種争いからのほっとする憩いのひと時であったし、少し寒い気候の時の晴れて穏やかな昼下がりがまた私が一人きりになれる、そんな広く落ち着いた場所であった。同時に、当時の工女たちはお金のためにほぼ奴隷とかした合間にこの景色になにをおもっただろうか、感慨深いものがあった。
東京に戻りシンガーソングライターの食事をしながらのライブも見て、これらはまた価値のある旅行目的地であったが、この小松純也さんや三浦コースケさんも私からも応援してほしいと思うものであります。 おわり
