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mashiro_world
老害への第一歩
最近あったこと
社会人になって以来、関係性を続けさせてもらっている20歳年上の先輩がいる。その方が大きな昇進をされたので、食事にお誘いし、ささやかながらお祝いさせていただいた。具体的には、美味しい食事の後にお祝いメッセージ付きのプレートをお送りしたのだ。少し恥ずかしそうにしながら、喜んでいただいたように見えたが、少し考えたことがあるので徒然なるままに備忘録として書いていきたい。
そもそもお祝いはエゴでは?
極端な話、今回私は「誰しもお祝いされる側は嬉しいものだ」という大きな前提の上で先輩をお誘いした。これは後から思い返せば大変危険な行為である。その方の人生に干渉しない(= できない)まま、その方がお祝いを喜ぶと思い込んで行動に移したからだ。
お祝いを喜べるかどうかは、その方のパーソナリティ、その方を取り巻く状況とそれによる作用、内発的な精神状態、お祝いの仕方、誰がお祝いをするか、等に依るものだと考える。これからの条件が合っている時、少なくともマイナスに作用していない時に、人はお祝いを喜べるのではないだろうか。
まとめ
今回、自分は上述の条件を整えてからお祝いできただろうか。否、できていない。
そんな自分の思慮浅さを反省し、お祝いマスターに私はなりたい。