陸軍撮影空中写真について 1 (1930年頃の東京空中写真)
国土地理院は、地図を作成するために撮影した測量用の空中写真など測量成果を「地図・空中写真閲覧サービス」で公開しており、サービスで公開している空中写真は出典を明示すれば自由に利用できると利用規定で示されている。
国土地理院は、管理しているデータについて積極的に公開しており、地理院が撮影した空中写真以外にも地理院が管理している戦後米軍が撮影した空中写真や戦前に陸軍(陸地測量部か?)が撮影した空中写真の画像もサイトから公開している。また、これらの過去の空中写真の一部は地図に重なるよう加工され国土地理院の地図情報等提供サイトの地理院地図で公開されている。
地理院地図(米軍撮影空中写真を表示)より水道橋駅付近、後楽園の野球場が建設中。
撮影年不明の空中写真
地図・空中写真閲覧サイトで過去の空中写真を閲覧していたところ、撮影年不明の空中写真があることに気づいた。そのうち陸軍が東京を撮影した撮影年不明の空中写真は、同じ場所を撮影した同年代の陸軍の空中写真(陸軍で空中写真の測量がされるようになったのは大正末~昭和はじめから)よりあきらかに解像度が高く街の状況が良くわかる。
この写真については以前から気になっていたので、写真がいつ頃に撮影されたものか調べてみた。
地理院地図でも公開されている撮影年がわかっている陸軍の写真。地図空中写真閲覧サービスより(1936年 昭和11年 撮影)
撮影年が不明の空中写真。写真には1936年(昭和11年)に移転した「東京砲兵工廠」の建物が写っており上の1936年撮影より前のものであることがわかる。
参考 戦前期までの後楽園 このまちアーカイブス〜文京区 (三井住友トラスト不動産)
撮影年不明の陸軍空中写真の撮影範囲(背景の地図は地理院地図ベクターより)
写真1枚の撮影範囲は狭いので写真を接続してみた。(中心投影の写真をそのまま加工してつなげたので接続にズレあり)
地理院の閲覧サービスで公開されている空中写真は、地図作成を目的に撮影されている。閲覧サービスの図暦のページで当該の箇所の地図の作成状況を確認したところ1万分1「上野」が昭和6年発行(昭和5年測量)、1万分1「日本橋」昭和7年発行(昭和5年測量)があった。陸軍が空中写真測量を地図の作成に利用するのは昭和の初め頃からなので、この空中写真も用いられたのではと思われる。
解像度の高い空中写真画像はこちら (2023年11月色調を調整)
地図・空中写真閲覧サービス 地形図・地勢図図歴のページ (国土地理院)
※ 国土地理院の成果閲覧サービス等の参考のリンクは2022.2時点のものです