【放課後日本語クラスから⑯】さよなら、私の大切な生徒たち
こんにちは。公立高校の日本語指導クラスで、日本語指導員をしている、くすのきと申します。
先日、ついに2021年度の放課後クラスが終わってしまいました。
そう。「終わってしまった」というのが、今の私の正直な気持ちです。
とにもかくにも適当に投げ出したりせずに、一歩ずつ自分なりに考えを進めながら取り組むことができた(万全ではなくても……)という納得感。
どんどん削減される時間数のなかで、いったいどれだけ生徒たちの役に立てたのかという不全感、敗北感。
なかば心を閉ざしたままだった生徒や、最後に成長した姿を見せてくれた生徒。
まだ終わったばかりでとりとめのない思いが行ったり来たりしているところですが、せっかく生徒たちからもらったこの生の思いを、温かいうちにできるだけほぐして整理し、次の取り組みに生かしていきたいと考えています。
まずは、最後の授業で心に残った生徒の表情について触れてみます。
妹のパンを持ち出したAさん
この日、私は以下の2つの課題を実施する計画を立てていました。
①については、この半年間、時期を追って「中学校では~でした」「高校では~したいです」「3学期には~したいです」といったマンダラートを作り、生徒たちに記入してもらっていました。
そして、生徒が書き込んだ用紙をそのつど回収し、コピーを取って手元に保管していました。今回はそのすべてを返却することで、半年前と今の自分の気持ちの変化を感じてもらいたいと考えていたのです。
生徒たちが記入しているところを見て回りながら、私はまずAさんの隣に腰掛けました。
Aさんは日本語の文字を書くことが大好きで、とくに漢字に対する関心が高い生徒です。形の整った漢字を、ちょうどよい筆圧で書くことができるので、一見、学習意欲の高い生徒のように見えます。
しかし、授業中のAさんを観察していると、心ここにあらずといった表情をしていることが多く、問いかけをしたときの反応が薄く、プリントを渡してやるべきことを説明しても、何を求められているのかがわからないといった様子を見せることがあります。
今回の用紙には、「部活で」「日本語の勉強で」「友だちと」「学校以外のことで」といった、考えるヒントを挙げていたので、Aさんもそれにしたがって数行ずつ書き込んでいたのですが、まず、その暗い表情が気になって最初に声をかけたのです。
用紙にざっと目を走らせて気がついたのは、その後ろ向きな内容でした。
「クラスに外国人が多いから日本語を忘れてしまう」「日本語を話したいから2年生になったら日本人と友だちになりたい」「部活に入っているけれど楽しくない」……
T:「Aさんはいま、日本人の友だちはいますか?」
S:「……ううん」
T:「部活はどうして楽しくないのかな?」
S:「……」(困ったようにを首をかしげる)
T:「部活に友だちはいますか?」
S:「……」(同じく)
そのうち、Aさんは「お腹が空いた」と言い出しました。
T:「お昼、食べてないの?」
S:「食べました。アンパンマンのパン」
T:「アンパンマン?」
そう尋ねると、Aさんはその日初めて、少しほほえみながらリュックからアンパンマンが描かれた空のビニール袋を取り出し、「これ」と言って私に見せました。それは女子高生が選ぶとは思えない、子ども向けの菓子パンの袋でした。
S:「これ、妹のパン。持ってきちゃった(微笑)。それから、これとこれ(と、お菓子の包み紙を取り出す)」
T:「お昼にこれを食べたの?」
S:「そう。これじゃ足りない。だからお腹空いた」
話すことを少し楽しんでくれていたように見えたAさんですが、再びふさいだ様子になり、心を遮断してしまったようでした。
「成長」はきっとやってくる
Aさんといっしょに、私のクラスで半年間を過ごしてきたBさん。Bさんは「この学校は~」とか「あの先生は~」というように批評的な目で周囲を冷静に観察し、それを拙いながらも日本語で伝えようとする意思のはっきりした女子生徒です。
ところで、私のクラスでは上述の②のJLPT受検対策では、これまでN4の練習を行ってきました。限られた時間数のなかでは、決して満足のいく取り組みができたわけではないことがとても残念ですが、最後に全員に「公式問題集」を解いてもらうと、N3受検への希望を感じさせる生徒もいて、そのひとりがBさんでした。
この投稿に目を止めてくださったみなさんがよくご存じのように、「家族滞在」の資格で日本にいるJSL高校生にとって、JLPTN2合格は、在留資格の変更に重大な意味を持っています。
家族がいなくても自分の力で日本に在留し、仕事をし生活の糧を得ていくためには、N2合格は大切な条件のひとつであること。そのことについては生徒に繰り返し伝えてきました(たとえどんなにスルーされようが、勉強に身が入らなかろうが、それだけはこちらも必死です!)。
しかし一度もJLPTを受検したことがなく、明らかに日本語力が不足している高校生には、N2合格のハードルはかなり高いのが現実です。
そのため、まずはN4の練習問題に取り組んで日本語の基礎固めと試験の要領をつかんでもらい、少し自信をつけてから上をめざしてほしいと考えてきました。そして最後のチャレンジとして、この日初めてN3の練習問題をやることにしていたのです。
そんな話を生徒たちにすると、Bさんが「N2がよかったな」とつぶやきました。そして、N3の問題を解き終わってからも「先生、N2の問題ありませんか」と真剣に聞くのです。
「いやいや、それはまだ無理でしょ」と戸惑いを覚える一方、自分から新たな挑戦に向き合おうとするBさんの姿に、私はしみじみとした嬉しさも感じていました。
半年前、反抗期のように少し斜に構えた態度を見せていたBさん。そのBさんが半年の間に確実に成長し、しっかりと、1カ月後に始まる新学年の生活の前に立とうとしていることが感じられたからです。
思わず口から出た「ありがとう」
授業が終わると、その日が正真正銘、今年度の最後の放課後補習クラスだったにもかかわらず、Aさんはただ軽く会釈し、いつも以上に淡泊な様子で教室から出ていきました。
漢字を書くことが好きで、ひとりでコツコツと練習を重ねている半面、聞いたり話したりする日本語力はまだまだおぼつかないAさん。
学校では友だちがいず、家庭では不安定な雇用の母親のもとで暮らしているAさんにとって、2年生は、そしてその先の未来はどのように開けていくのか。後ろ姿を見送りながら、日本語指導員として幾度となく感じてきた無力さを、私はまたも感じずにはいられませんでした。
Aさんを見送ると、教材を片付けている私のもとにBさんがやってきました。
「先生、1年間ありがとうございました」。これまで私に対して決して親しげにふるまってくれたわけではないBさんの思いがけない言葉でした。
「Bさん、一生懸命勉強してくれてありがとう。とても嬉しかったよ!」。ちょっと虚を衝かれて思わずそう言うと、鼻の奥がツンと痛くなりました。
S:「とても楽しかったです」
T:「そう? 2年生からは私は教えられないけど、学校の先生といっしょに頑張って勉強してね」
S:「Cさん(休みがちだった同郷の生徒)もあまり来られなかったけど、ありがたいって言ってました」
T:「ありがとう! Cさんにもよろしく言ってね」
そう言うと、Bさんはいつものように「はーい、バイバイ先生」と軽い調子で挨拶をして、教室を出ていきました。
私にとって、AさんもBさんもそれ以外の生徒たちも、大切な生徒たちでした。
でも、生徒たちの人生は、これから先ずっと長く続きます。そのなかで私は、たまたま出会った通りすがりの人間に過ぎないでしょう。
だからこそ、長い人生の道程で、たくさんの、良き通りすがりの人間に出会ってほしい。
とりあえずは役目を終えた今、安堵の気持ちといっしょに、生徒たちの後ろ姿にそう声をかけたいと思っています。
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