備忘録としてのネットラップ史 (2)テメーどこ中だよ
本記事シリーズは筆者の青春、「ネットラップ」についての記憶を書き留めておくメモ書きです。前回の記事は以下リンクから。
ブラウン管の向こう側
P波
ネットラップがはじまった2003年頃、日本のHipHopシーンはというと、RIP SLYMEやKICK THE CAN CREWは既にチャートの常連。キングギドラやライムスターもチャートインし、地上波では流派-RがNitro Microphone UndergroundやKAMINARI-KAZOKU.を取り上げていました。これらのアーティストを見てわかるように、ソロMCはあまりメジャーではなく、ラップの曲は2~3人がverseを分担する形が標準的な時代でした。
これはラップが普及していった過程として納得がいきます。当時「お経みたい」と揶揄されることも多かったラップは、新しい音楽として売れるためにキャッチーさを担保する必要がありました。その手段は分かりやすいもので二つあったと思います。一つは従来の音楽と同様に、音程をつけること。もう一つは従来の音楽とは異なり、複数のボーカルが代わる代わるラップをすること[1]でした。
また、売れていたアーティストは曲のトピックもメッセージ性の強いものではなく、努力や苦悩や恋愛についての曲であったり、意味が分からずとも口ずさみたくなるような歌詞・リズムにすることで[2]、カラオケで歌われるような曲になっていました。
S波
さて、ネットラップの二世たち (ネットラップからラップを始めた人々) は、この頃のインターネットや地上波からの影響を受けていたと思います。
(1) クルーへのあこがれ
この頃はYahoo!チャット等が既に存在し、SNS (mixi) が流行する少し前です。メールよりもリアルタイムでコミュニケーションがとれる手段が発達し、離れた土地の見知らぬ人と繋がるのが容易になった頃でした。
ニッチな趣味であった日本語ラップについて、インターネット上にいつものたまり場 (後述の各サイト) が生まれ、学校や会社以外のコミュニティでの仲間意識が醸成されていきました。
売れていたFUNKY GRAMMARや、Nitro Microphone Undergroundの活躍がお手本となり、クルーという存在が刷り込まれていたことも大きかったと思います。
(2) ラップする事への次のハードル
当時の若者や実家暮らしの学生だった二世たちは、ラッパーというものに憧れているwannabeであり、世の中に訴えたいトピックがそんなにあったとは考えにくいでしょう。
そこで一人のリリック量が少なく、一緒にやってくれる人がいる、作曲の敷居が低いマイクリレーはラップをはじめるきっかけとして有効であったと思います。
君の耳元です 嘘です パソコンの前です
さて、ここからは前回の予告の通り、ネットラップの各サイトについて触れます。複数のサイトが存在することで棲み分け・使い分けが生じ、それぞれのサイトに特色が現れていきました。
①Underground Theaterz
・管理人が表に出てこないことが公共の場の雰囲気を作り、途中経過ではなく作品を公開する場所として機能していました。
・現場出身/ネット出身者が入り乱れており、プレイヤー同士がお互いの作品に活発にコメントしていました[4]。コメントでのやりとりをきっかけに生まれたコラボもあったと思います。
・また、SNAFFKING、番犬、ANSWER、FESSOR、Image等の現場経験者による音源が多数投稿されていました。
ここで活動し、その後有名になったアーティストはAO、大吾 (現 FAKE TYPE.) やK's (現 魂音泉) などがいます。
②Alkaloid
・管理人はマ神 (form 1UREKA, mel house)、副管理人はNack (from 不時知)でそれぞれアーティスト活動をしていました。
・ネット出身の人たちの交流の場となっており、マイクリレー企画が頻繁に開催されました。ネットラップである程度知名度のあるアーティストも、変名で参加していました。
ここで活動し、その後に有名になったアーティストはibonne (現 tofubeats)、風玉 (現 らっぷびと) やIgakichi (現 タイツォン) などがいます。
③火星
※筆者は最初期の火星を知らないのでご容赦ください。
・mopmanを国王として扱い、家老を自負するheavyが実質的にサイトの運営を行っていました。
・音源を投稿するメンバーは固定されており、ネットでの音源製作以外にも、マーズクルーとして現場でのライブ活動を行っていました。
・投稿されたトラックの取り扱いについて (珍しく) 規定があり、トラックメイカー (TM) とラッパーと火星が権利を保有し、権利の割合も定めれていました。
ここで活動し、その後に有名になったアーティストはslothなどがいます。
④みんなでラップを作ろうスレ (2ちゃんねる)
・2ちゃんねる内のスレッドのため、リスナーの匿名性が高い活動の場所です。
・当時は固定プレイヤーのコラボやマイクリレーの作品が多く投稿されていました。
・年末には有志のTMとラッパーが超大所帯でマイクリレーを作成し、大みそかに投稿する、年末マイクリレーという活動があります。
・年末マイクリレーを見るとわかりますが、実は実力主義の色が強く、上手い・有名なアーティストほどトリ近くを任されていました。
ここで活動し、その後に有名になったアーティストはseihoなどがいます。
その他
2ちゃんねる以外の掲示板だと、THE BBSにも同様にネットラップの活動が存在しており、後にニコニコ動画にも進出しニコラップと呼ばれるようになっていきました。
その後に有名になったアーティストは枯渇 (現 コカツ・テスタロッサ)、DAOKO、イニ (from スカイピース)、Jinmenusagi、電波少女、ぼくのりりっくのぼうよみ (現 たなか from Dios) などがいます。
次回予告
次回はネットラップで活動するアーティストの目線から見た、トラックのありがたみと、楽曲製作の知識への渇望について記したいと思います。
参考文献・注釈
[1] Verse中の掛け合いを積極的に取り入れた点で、KICK THE CAN CREWはブレイクスルーをもたらしました (特に『マルシェ』のボーカルの切り替わりの頻度)。また、ラップによるカバー曲の祖先は『クリスマス・イブ Rap』だとも考えられ、クリスマス・イブ Rap→マルシェ、とリリースしたのは非常に戦略的だったと思います。
[2] SOUL'd OUTもカラオケでは正しいリズムで歌うことを目指す、beatmaniaのような音楽ゲームと同じように捉えられたのだと思います。
[3] 番犬, 御粗末劇場, (2005). ※trackはdeepeats『Carpe Diem』。
[4] 当時のUnderground Theaterzでは固定ハンドルネーム (コテハン) からの数件の反応がアーティストのモチベーションになっていましたが、この感覚もニコニコ動画で大量に付けられるコメントに上書きされてしまいました。筆者にとっては悪貨が良貨を駆逐したという印象です。コテハンのコメントは匿名ではない価値がありますが、一個人のありがとうよりもバズの方が脳を刺激した、ここ20年のインターネットの悪い部分が出ているように思います。