独学の危険性をヒトラーから改めて学ばせてもらった
私が最も世界史にのめり込んでいた小6〜中1の頃、特に気になって調べていた人物がいる。
それはアドルフ•ヒトラーだ。
言わずと知れたナチスの指導者の彼だが、実は彼の最終学歴は小卒である。
父のアロイスも小卒だが、彼は19歳の時に税務署の採用試験に独学で合格して公務員となり、その後は当時としては異例の税関上級事務官にまで勤め上げた。そんな彼は自分の人生の成功に強い自尊心を持ち、息子のヒトラーにも同じように成功して欲しいと願っていた。家父長主義的な彼はヒトラーに過剰に干渉し、ヒトラーも幼少期の聞き分けの良い性格はどこへやら、反抗的な性格になっていった。
そしてこの頃からヒトラーは大ドイツ主義にのめり込むようになったと考えられている。ここまで聞くとなんだか凄く世界史界隈民っぽいと感じる。今ヒトラーがいたらTwitterやYouTubeで世界史界隈に入り、過激な思想を垂れ流す厄介厨二病陰キャとして扱われてそうだ。
そしてその後は中等教育(中学校・高校)を学ばずギムナジウム(大学予備課程)で学びたいと主張したヒトラーに対して、アロイスはリンツのレアルシューレ(実科中等学校)への入学を強制し、父との関係はますます拗れた…と言われているが、これは後述するヒトラーの数学を筆頭とした理系の学問の成績不振をアロイスが気遣った可能性もあるため、どこまでが本当かはわからない。
ただ一つわかるのは、ヒトラーは根っからの文系人間であることだ。特に歴史は大得意だったようだ。しかし理系学問は本当に苦手だったようだ。また語学も苦手だったらしい。彼は1901年、リンツ実科中等学校一年生の時に必修の数学と博物学の試験に不合格となり、留年となってる。翌年にはまた数学の試験を落とし、再試験でギリギリ3年生へと進学できた。
そして1903年に父アロイスが亡くなる。しかしヒトラーの問題行動は止まらず、成績は悪化し続けた。同年にはフランス語の試験に落ち二度目の留年処分を受け、扱い兼ねた学校からは四年生への進級を認めて貰う代わりに退学を命じられる有様だった。
退学後、リンツ近郊にあったシュタイアー市の実科中等学校の四年生に復学したが、前期試験で国語と数学、後期試験では幾何学で不合格となった。問題行動も続き、結局その学校も退学してしまった。こうして彼の最終学歴は"小卒"となった。
退学後母のいるリンツへと戻った彼は芸術家になることを目指し、1907年にウィーン美術アカデミーを受験した。当時のウィーンアカデミーは今でいう専門学校に近く、学歴関係なく受験することが可能だった。
しかし彼は落ちてしまった。落ちた理由は「課題の未提出」と「成績不良」だったそうだ。一応頑張って受けたはずのウィーンアカデミーをそんな理由で落ちてもいいのか…と私は思ったが、やらなきゃいけないとわかってるのに最後まで塾の宿題をやらなかった私と同じで、彼も典型的な衝動性が強い先延ばし人間だったのかもしれない。
ちなみに受験に失敗した後、ウィーンアカデミーの学長と直談判した際、人物画を嫌う一方建築画には興味を示す性格から「画家ではなく建築家になったら?」とアドバイスされる。ヒトラー本人も最初は乗り気だったらしいが…すぐに非現実的な望みであることに気がつき、諦めてしまっている。
こうした経歴から、ヒトラーは典型的なルサンチマンを抱いてしまった。当時流行っていた世紀末芸術、ダダイズムやキュビズムを嫌悪し、また正規教育も嫌った。「(官僚たちは)知性はあるが感性がない連中」という言葉も残している。学生時代の成績不良が彼の人格を歪めてしまったのだ。
その後最愛の母の死や2回目のウィーンアカデミー受験失敗、ウィーンでの放浪生活などは語ると長くなるので割愛させていただく。これから話したいのは、独学者ヒトラーとしての側面だ。
彼は学校教育には向かなかったかもしれないが、学問自体を嫌っていたわけではなかった。哲学や歴史を好み、浮浪者時代は図書館で何時間も読書に明け暮れていたらしい。また第一次世界大戦中はドイツ軍の兵士として塹壕戦に駆り出されたが、他の戦友は女や飯の話をする中彼は黙々と哲学書や歴史書を読んでいた。
その中でも彼はアルトゥル・ショーペンハウアーというドイツの哲学者の選集を特に好んだ。ショーペンハウアーが繰り返し主張した、意志の力、意志の勝利という人生の概念は特にヒトラーの人格に影響を与えたと思われる。また、ニーチェの思想にもかなり影響を受けたみたいだ。ニーチェの思想の根底は弱者、及び社会道徳の否定と強者肯定だ。そしてこれはナチスの政策とかなり似ている。こういうのもあって私はあまりニーチェが好きになれない。
他にもビスマルクの回想録、経済学者のあのマルクスの著書など、哲学、歴史、経済、政治などについて彼はどハマりし、勉強に明け暮れた。なんか、さっきも言ったが本当に世界史界隈民っぽい人間だと思う。
そうした経験から、彼は独学で成功した自身の経歴を強く誇りに思うようになった。先ほども言ったが正規教育に対しルサンチマンを抱いていたこともこれに拍車をかけた。エリート教育受けた官僚や将校への劣等感が強かった彼はドイツの最高権力者になってから、軍事や外交、農業や工業など(特に軍事)とにかく細部まで現場を知る将校や官僚の意向を無視して口を突っ込んでいる。第二次世界大戦後半になるとその傾向は更に強まり、化学について大して知識もないのに戦車の材料について口を出したり、軍を率いて戦ったこともないのに前線の細かい指示にまで携わったりしている。(今やネットミームにされてしまった)「ヒトラー最後の12日間」という映画を見ればそれがよくわかると思う。ライバルであるスターリンがそこまで細部まで指示しなかったのとは対照的だ。
ここからわかるのは、やはり独学は危険だということだ。勿論独学を否定するつもりは毛頭ない。寧ろネットが発展し誰でも高水準の教育に触れられる現在は独学力が重要であることもわかっている。
だからと言って学校教育に意味がないのか?と言われたらそれは大間違いだと思う。道徳や総合学習は学問としてカウントできるか怪しいので除くとして、数学から美術まで、幅広い学問に触れられるのは基本学校教育だけだ。独学だとどうしても自分の好きな学問、やりたい学問に限られてしまう。正確で様々な知識を点として吸収できるのは学校教育しかないのだ。
唐突だが、これはスティーブ・ジョブズの演説の一部だ。
「将来を予想して、点(知識や経験など)と点をつなぐことはできない。後々の人生で振り返った時にしか、点と点をつなぐことはできない。今やっていることが、将来、自身の役に立つ(点と点がつながる)と信じて取り組みなさい。」
きっと、いつか繋がるであろう点を沢山打ち込めるのは学校教育だけなのだ。そこが独学にはない長所だと思う。やっぱり、学校教育は必要なのだ。文系だから数学はいらない、美術なんかやる価値がない、英語なんか使わないしやらない、と決めつけず幅広い学問を将来に渡って楽しんでいきたいと改めて思った。