焦っています
焦っちゃう。混乱している。動揺している。
非常に怖いし、ビビってるし、何事もなく終わればいいと思っている。大体、こういうのは1人で先走ってる場合だろうし。
けど、その焦りが怖い。焦りがただの勘違いじゃないことが怖い。
非常なトラウマだよね、わかりやすい。
何より怖いのは、同じ失敗をすること。踏み込まないこと、踏み込ませてもらえないこと。むしろ、踏み込まない方がお互いには快適にいられるのかもしれないけれど、「それでいい」のかがわからない。
いや、ここに関しては明確にポジションを取るべきだ。
「それじゃ嫌だ。」
関わって、巻き込まれて、苦しんで、それでも手放したくない
手放すも何も、僕が何かを持っていたりつかんでいたり、しばっているわけではないけれど。手を離さざるを得ないことはとても苦しくて辛いことだ。
こうやって具体的じゃない話ばかりしているからダメなのかな。
「何が、ダメか」という思考自体に自信がなくなる。
相手の問題というか、相手の課題であることをもたくさんある。はずだ。
それに踏み込んではいけない、相手が何を思い、何を感じ、何を考え、何を求めているのか、それは僕のモノではなく、相手のモノだから。
奪ったり、勝手に決めたりしてはいけない。
けど、もし叶うなら、その問題を一緒に見つめることがしたい。
もし求められるなら、助けるなり寄り添うなり一緒に考えるなりしたい。
ただし、それを決めるのは、求めるかどうかは僕が決められることじゃないし、僕が決めることではない。
相手の求めるものを与えられれば。
基本中の基本。
汝欲するところを隣人に与えよ。
僕が恐れているのは、「失う」こと。
それは、あの子のことばを、考えを、決意を受け入れられなくなること。
あの子との時間を、あの子にとって心地よいものにできなくなること。
そして、僕があの子から受け取ったたくさんの幸せを返せないままになってしまうこと。
確かに、考え方は違うし、ポジションの取り方もアプローチの仕方も、興味を持つ角度も違う。皮肉なことに、関心を持つ対象は似ているから余計微妙なモヤモヤが出ることも多い。けど、だから、好きなんです。
普通、あそこまで面と向かってもらえることなんてないから。
率直に教えてもらえることなんてないから。
受け止められない度量の狭さは僕になるけれど、それにも増して、諦められてしまうことが辛い。。。
そう、これは僕の問題。
「僕がこう感じる。こうなってしまう。だから、こうしよう。こうして欲しい。こうすれば、僕が不快にならないから好ましい。」
浅ましい。
I = 我が”まま”
これを、どう
We = 思い”やり”
という双方向のベクトルにできるかが大事なのに。
またうまくいかないのかなぁあ。
どうしたって、そういうもんなのかな。
一番悲しいのは、教えてもらえないこと。
「教える必要がないほど、価値のない関係になった」になってしまうこと。
住む場所も、環境も、思っていることも、触れている情報や価値観も違うから、同じことを見つめるのは難しい。
そもそも、その時間を取ることが難しい。
それはお互い様だから。
諦められたくないなぁ。粘りたい。
お互いに何を求めていて、何をするのが2人の関係にとってベターで、どうしていくのがいいのか。
それを考えていこう。
ヒントはもらえたのだから。
結論だけじゃなくて、その過程と姿勢を大事にしたいです。
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