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楽しさとやりがいの両方を目指す

こんにちは!

yusukeです!

今日は、ロルフ・ドベリさんの

「Think Clearly」

からインプットした

「楽しさとやりがいの両方を目指す」

についてアウトプットしたいと思います!

まずはこの記事を読んでくれたあなた

次に挙げる行為はあなたにとってどのくらい楽しいですか?

0(楽しさゼロ。そんなことしたくもない)から

10(この上なく楽しい。これ以上楽しいことは他に思いつかない)

までで点数をつけてみてください!

(a)大好きなチョコレートを食べること。

(b)祖国のために戦争で戦うこと。

(c)趣味に没頭すること。

(d)子育て。

(e)アフリカに病院を建てること。

(f)地球の温暖化を止めること。

(g)セックス。

(h)サッカーのワールドカップを見ること

(i)高齢の女性が道路を渡る手助けをすること

(J)カリブ海での休暇

全て点数がつけられましたか?

ちなみに筆者のロルフさんによると

ほとんどの人が

「セックス」「チョコレート」「サッカー観戦」「休暇」

を9もしくは10、

「子育て」を2もしくは3と評価するらしいです。

(図星)


では次の質問です!

先に挙げた行為は、

どのくらい有意義だと思いますか?

0(全く無意味)から

10(これ以上ないほど有意義)

までで点数をつけてみてください!

この質問に対しての回答のほとんどは

「子育て」は「休暇」よりもずっと点数が高く、

「高齢の女性が道路を渡る手助けをすること」は、

「チョコレートを食べること」より有意義という結果が出るらしいです。

(またもや図星)

前置きが長くなりましたが、ここからが本題

良い人生に必要なのは、

「楽しめる」行為なのか、

それとも「有意義な」行為

どちらなのでしょうか?

この問に対して

ほとんどの哲学者たちは、

「直接的な楽しみは低俗で、退廃的で、動物じみている」という立場をとっています。

つまり、有意義な行為こそが人生にとって大切だと定義したわけです。

しかし、ロンドンの心理学者は

どちらが良い悪いではなく、

音に、「音の高さ」「音量」という2つの要素があるように

人間が体験するひとつひとつの瞬間にも、

ふたつの要素があると考えています。

それは、

「快楽的な要素」は直接的な楽しみであり、

「意義の要素」はその瞬間に意義を感じる


私たちの感情であるということ。

例えば

チョコレートを食べるのは多くの人にとって

快楽の要素が大きいが、意義の要素はごくわずか。

それに対し、

高齢の女性が道を横断する手助けをするときには、

快楽の要素はわずかだが、意義の要素は大きい。

正直に言います。

僕が今書いているこの記事は

別に楽しくなんかないです(笑)

しかし、

僕が記事を書くことで見てくれる人が

少しでも得をした気分になることや

アウトプットすることで

自分の頭に定着することに意義を感じているから

やっています。


欲求か、意義か

筆者は欲求と意義の配分を心がけることをオススメしています。

欲求ばかりを求めて

チョコレートを食べ、テレビを見て、

セックスをしていたら人生に意義を感じられなくなってしまうでしょう。

対して、意義を求めすぎて

一日中人の手助けばかりしていたら

自分の楽しみを持てない

つまらない人生になってしまうでしょう。

1番いいのは

意義のある何かと楽しみのためのなにかを

交互に繰り返すことかもしれません。

ちょっと世の中のためになることをした後には、

うちに帰って冷やしたコーラを飲むように。


ということで今日は

僕のお気に入りの本の一部をアウトプットしました!

「欲求」と「意義」

普段あまり考えてこなかったですが、

僕たちは無意識にどちらかを選んできてたんですね。

この知識は勉強中の動画編集にも使えるので

1本の動画に「欲求」「意義」を

視聴者が感じられるような

構成を考えていきたいと思います!

以上!

yusukeでした!

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