自分を超える、って事
どーも、年に一回は好きなバンド「Fishmans」のグッズを買い足してしまうYossi-です。
(今日のトップ画はグッズを着用した私です)
さて、今日は「自分を超える」って事について考えてみたアウトプットです。
今年の7月に僕は引っ越しをしたのですが、その時期に引っ越し絡みの忙しさだったり、夏バテを理由にした自分のズボラで筋トレをやっていたのを辞めてしまいました。
今年の2月に腰をやってしまい、治療に通いながら再発防止策で身体を作ろう!って事から始めたんですが、治療の甲斐もあって腰も良くなり、それから前述の理由でジムから足が遠のいてしまいました。
そして引っ越し後から酒が増え、トドメに日本シリーズなんて事があったおかげで更に酒が増え、もうアカン!って事を思っていた時にドラムに関する事でも思う事があって、また筋トレを再開しました。
そして最近読書もするようになり、今かなり自分に刺さってる本があるんですが、そのページを開いた時にグッと刺さる言葉がありました。
「自分のカッコわるさを素直に認め、それを心の底から克服したいと願う」
それが、今の僕にブッ刺さる言葉でした。
今までの人生でも、何度かそんな場面があった。
ロクな練習量もこなさず「そのうち上手くなる」なんて思っていたらバンドをクビ寸前になって必死に練習し出した、バンドイベントを主催して何も出来なくて大恥をかいて、音楽を引退しようってところまで堕ちて、でも色々あってまたやろうって思って再起した時、大好きな女の子に拒否されて恥ずかしい目にあって、信用を取り戻すためにもがいた日々…
そんな時は、やり方の正否はさておき「必死」だった。
そして、それが本当のピンチになってから初めて出るのが自分の良くない所だと思ってるし、現在もそれがまた出てしまってるって思う事が最近ありました。
去年の初めに見栄とプライドを捨てて「ドラムを習う」って決めた時も「必死」だった。
それからもう2年になろうとしてるけど、ある程度出来るようになって当時のような必死さも薄れて来てしまった。
何より「ドラムを教えられるようになりたい」って目標も「出来たら良いな」ぐらいの気持ちで過ごしていました。気持ちの面でそうアプローチするのがちょうど良いかな?って思っていたし、現に今年はそうするって決めていました。
だけど、それじゃ叶えられない。
良い意味で緩くやってるつもりだったけど、僕は心の奥で「失う怖さ」に怯えてたように思う。必死にやっていたのに失った時の辛さを僕は知ってる。だからまたあんな気持ちになりたくない…
その結果が「逃げ腰」だったなって今は思う。
ただ自分が傷つきたくないから、そうやって緩くやる事を選んでただけのような気がする。
そんな自分に気付いて、悔しかった。それでも目標に向かって進んで来た今日までを否定する事はない。
その途中で沢山自分に向き合ってきたから。
やると決めた事に中途半端な事は言わない。
そして、出来なくても誰のせいにもしない。
自分が唯一コントロール出来る「自分の事」だから、自分で責任を取る。
そして、そんな風に気付いた事から逃げないで全力で克服する。
それが「自分を超える」って事だと思う。
もう一回、必死でやる。
自分の最大の競争相手は昨日までの自分。
そいつにだけは、死んでも負けない。
って事で、明日筋肉痛を貰う事を期待して寝よう。
今日はそこそこ筋トレ追い込んだからね。
ではまた次回!ありがとうございます!
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