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[読了]天皇と憲法(保阪 正康(編集)「50年前の憲法大論争」講談社現代新書)
保阪 正康(編集)「50年前の憲法大論争」(講談社現代新書) [Amazon]
本書は,1956年,3月16日の開催された「第二十四回国会 衆議院内閣委員会公聴会」の記録となっています。どんな意見を聞いたかといえば,憲法調査会法案について。「50年前の憲法大論争」とあります。今からいうと 70年前のはなし。随分前のはなしですが,今話されているかのような錯覚に陥ります。
公聴会のやりとりを読むことで,旧憲法の何が問題であったかがよくわかります。旧憲法の問題点は,そのまま当時の,そしての現在の自民党が考えている憲法改正案の問題点にもつながります。
例えば,当時の自民党は「第一章 天皇」を改正して,天皇を元首として位置付ける案を提出しています。それに対して次のような意見が中村公述人から述べられています。中村公述人とは法政大学教授の中村哲のこと。
ところが,天皇を元首にしようという改正が考えられておるようですが,天皇が元首になるとどうなるかといいますと,現在,内閣総理大臣の名においておこなわれたりするようなことがすべて天皇の名においておこなわれる。非常事態の宣言であるとか,あるいは緊急命令であるとか(p.131)
天皇を元首とすることによって,天皇の名において発せられる宣言や命令に国民が反対をいいにくい空気になるのではないか,結果,国民主権が損なわれるのではないかという意見です。70年前の公聴会が開かれた時代の空気を今に再現することはとても難しいです。天皇に対する敬意が昔と比べて今は薄れているのか,それとも高まっているのかはなかなか比較できません。
ただ,はっきりしているのは,内閣総理大臣の名前において宣言されるものと,天皇の名において宣言されるものとでは,今の時代であってもその権威は後者,天皇の名において宣言されたほうが格段に上でしょう。
2024年の今であっても,中村公述人の述べた感想はまったくそのまま当てはまるのだろうと思います。
自由民主党の憲法改正案
下は現在の自由民主党の憲法改正案の一部です。
第一章 天皇
第一条 天皇は,日本国の元首であり,日本国及び日本国民統合の象徴であって,その地位は,主権の存する日本国民の総意に基づく。
第一条 天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて,この地位は,主権の存する日本国民の総意に基く。
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