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[読了]自分なんかいらない(佚斎 樗山「新釈 猫の妙術: 武道哲学が教える「人生の達人」への道 」草思社文庫)

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自分って何だ

今年は怪我の多い年でした。ずっと天井をみていた時期もあり,剣道の稽古がきちんとできたのかどうかといえば,できなかった年でした。

痛みで,夜も眠れない。それでも,ふっと夢を見る時間がある。そのとき,目の前にこれまで感じていた痛み,今感じている痛みが,そこ,ここと現れては消える。あれは昨日感じていた痛み。あれは今感じていた痛み。痛み自体が自分自身にように思えてくる。痛みが消えるたびに,何か,自分がほどけていくような気持ちになってくる。自分というものが包帯でぐるぐると巻かれているのだけれども,それが解けていって,中身がでてくる。けれども,何もない。からっぽ。自分はそこにはいない。

「自分」って何だろ。

「自分」を捨てる

そういえば,剣道の先生がずっと前に言ってたなー。「我が見える剣道はダメだ!」それはわたしも思います。打ちたい,打たれたくないという気持ちがはっきり見える。打ちたい,打たれたくないで稽古になるのかなー。

怪我をしたのもあって,心がどうも変なこともあって,禅の本や武術の本を読んでいると,これがびっくり,読めば読むほど,おもしろい。自分の課題がそこに書いてある。びっくり!

例えば,「猫の妙術」。

  • 佚斎 樗山 (著)「新釈 猫の妙術: 武道哲学が教える「人生の達人」への道 」(草思社文庫)  [Amazon]

物と我と共に忘れて、潭然として無事なる時は、和して一也。敵の形をやぶるといへども、我もしらず。しらざるにはあらず、此に念なく、感のままに動くのみ。

猫の妙術

試しに訳してみるとこうなる。

相手やら自分やら,どちらも忘れてしまって,静けさのなかで心が穏やかなときは、相手も自分もみなひとつ。相手の構えを破っているのに,それを破った自分が気づいていない。気づかないのではない。そこにはもう思いはない。感じるままに動くだけ。

試訳「猫の妙術」

体が勝手に動くぐらいに技の稽古をする。勝手にといっても,手前勝手じゃなくて,理にかなっている。自分の体はどうやったら思い通りに動くのか,相手を動かすにはどのようなやりとりがあるのか。それを見つけて,稽古している。八段の先生はたぶんそんな稽古をされているのだろうな。

もう自由自在なんでしょう。そこに自分はないはず。

努力を邪魔しているもの

子どもって上達がはやい。体力があるから,気力があるから。いろんなわたしたちにはないもののおかげかなと思うけど,実際は,自分がないからなんじゃないか。自分の考えかたやものごとの見方にこだわりすぎていると上達はむずかしいんじゃないか。全部,捨てるつもりで,学ばないといけない。

そういえば,剣道の先生がおっしゃってました。

今まで身につけたものを全部捨ててしまって,私のしていることを真似ればいい。

ひえー。すごい自負心。そう思うかもしれませんが,何かを学ぶときにこの考えかたは大事かも。自分を捨てないとうまくいかないかなー。

そんなことを今年は学んだ。

おすすめの書籍

すごく読みやすい現代訳になっています。解説もわかりやすく,作者が何を伝えようとしているのかたいへんよく理解することができる一冊です。おすすめ!

  • 佚斎 樗山 (著)「新釈 猫の妙術: 武道哲学が教える「人生の達人」への道 」(草思社文庫)  [Amazon]

この本も最近読んで,そうだよなーと思った。全然本らしくない本で,誰かの頭のなかをのぞいているような本です。

  • しんめいP (著)「自分とか、ないから。教養としての東洋哲学 」(サンクチュアリ出版) [Amazon]

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剣術に関する本ですが,日常生活にももちろん応用できる話です。

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